〈みちのく怪談〉とはなにか!

〈みちのく怪談コンテスト〉はいいけれど、さて〈みちのく怪談〉とはいったいなんなのか。〈みちのく怪談〉とは、どんな〈怪談〉なのか。
そんな疑問にお応えすべく、〈みちのく怪談コンテスト〉スタッフKが、仙台〈荒蝦夷〉の土方正志さんを直撃しました


K  さて〈みちのく怪談〉とはなんでしょうか?
土方 いくつか視点はあるのですが、まずは〈みちのく〉=東北を舞台とした〈怪談〉があります。『遠野物語』の系譜を受け継ぐ怪異譚といっていいかもしれません。
K  なにしろ〈みちのく怪談〉ですからね。審査員の東雅夫赤坂憲雄両氏も、このブログの宣言文で「〈みちのく〉の幻像が、いま、求められている」と「21世紀の『遠野物語』群が、平成の佐々木喜善たちが、ここに生まれ出でんことを!」と記しています。
土方 ただ、これはノスタルジーではないんですよ。現代の東北にも、実はカッパやザシキワラシ、いるんです。山野河海の怪異譚が、ごく日常的に語られている。東北で聞き書きの取材をしていると、ホントによくある話(笑)。あまりに日常に過ぎて「なにかこわい話を知りませんか」と尋ねても「んなもの、知らね」で終わり(笑)。けれども、例えば山村の場合なら「山でなにか変わった体験をした事ありませんか」と水を向けると「んだなあ、そういえば、あれは山菜採りに山さ入ったときだったども、こんなことがあったーー」と、おもむろに凄まじい怪異譚を語り出す。自分で体験した話もあれば、両親、祖父母、あるいは同じ村の誰それが主人公だったりといろいろですが、とにかく、かなりの確率で、皆なにかしらの不思議を知っている。ところが語り手たちは、それを「こわい話」とか「怪談」とは思っていない。山へ入れば、海へ出れば、不思議なことがあるもんだーー。どうやら東北人は、生活感覚の根底にそんな認識を、いまなお普通に持っている。これ、僕らもあまり意識したことがなかったのですが、今回、東雅夫さんたちと〈みちのく怪談プロジェクト〉を立ち上げるためにいろいろな人たちと話をするうちに「そうか、東北ってちょっとほかの地域と違うんだな」とナットクするところがありました。
K  それはどういうことですか。
土方 きっと、東北は自然と人間の距離が近いんです。なにしろ面積は本州の3分の1を占めるのに、人口は東北6県あわせても1000万人に満たない。面積の割に人がいなくて人間が山野河海に取り巻かれている。仙台などの都市に暮らしていても、クルマでちょっと走れば山の中です。となると、都市伝説的「怪談」や人間同士の確執による「怪談」よりも、どうしても山野河海と人間が接した結果としてのちょっと不思議な、いわば『遠野物語』的な「怪異譚」がふんだんに語られる。そういうことなんじゃないでしょうか。
K なるほど。それだけ自然に取り巻かれていては「都市伝説」的な怪談はなかなか生まれませんね。
土方 マタギのクマ狩りに同行して奥羽山脈に入ったときです。かなり標高の高い尾根に立った。遥か向こうに出羽三山が見える。僕が立っている尾根と、出羽三山のあいだ、見渡す限り一面の森でした。ちょうど中間あたりに赤いトタン屋根が見えた。そんな山奥に人が暮らしているんです。あるいは、取材で山道のどん詰まりに行ったら、家が2軒あった。1軒にはおじいさんとおばあさんが、もう1軒にはおばあさんとその娘が暮らしていた。クマが庭先を散歩するような山奥なのに、平気で森に入って山菜採りです。悪さをしなければ別にケモノがいてもいい、悪さをしたら懲らしめてやればいい。人間4人がクマやサルやカモシカと山奥で共存している。そんな環境に暮らしていたら、クマが踊ってもサルが喋っても、そしてカッパが泳いでいても不思議じゃない(笑)。
K  あまり『遠野物語』の時代と変わっていないような(笑)。
土方 もちろん新幹線が通り、高速道路が走り、あの時代の東北とは違う社会となってはいますが、そうはいってもわずか100年です。僕はそろそろ50歳ですが、まあ、いってみれば祖父母の時代の話です。両親や祖父母が生きた『遠野物語』の時代の残り香みたいなものを、いまも東北の人たちは胸の裡に持っている。引きずっている。東北には、あの時代の気配が、かすかではありますがいまも残っています。
K  それでは〈みちのく怪談コンテスト〉の〈みちのく怪談〉はそんな物語……。
土方 いえいえ、そんな(笑)。それでは東北に暮らす人とか、東北をよく知っている人にしか投稿していただけません。もちろん、クマが踊りサルが喋る〈みちのく怪談〉でもいいのですが、僕らはそこに留まるつもりはないのです。問題はそれぞれにとっての〈みちのく〉とはなにかなのではないかな、と。
K  というと?
土方 〈みちのく〉は〈陸奥〉であり〈道の奥〉です。京都や江戸・東京など〈中央〉視点からの〈陸の奥〉であり〈道の奥〉ですね。これは、地域差別かもしれません。あるいは鄙を見下した蔑称かもしれません。〈みちのく〉なんて人間よりもクマやサルのほうが多いド田舎じゃないか、みたいなね。けれども、古来から〈みちのく〉は、西の人々の、都人のあこがれの地でもありました。なにしろ万葉の昔からの歌枕の地でもある。「陸」の「奥」と「道」の「奥」。道の果て、そしてその向こう。ロマンティックにいえば〈みちのく〉は「ここではない、どこか」の総称なのかもしれません。だからこそ、〈みちのく〉はフロンティアだった。もちろん、あこがれの裏側には恐怖もあったでしょう。〈みちのく〉には〈異界〉があるかもしれない、〈異人〉が〈異獣〉がいるかもしれないのですから。そこにある物語、それこそが『遠野物語』であり、〈怪談〉だった。これが、もうひとつの〈みちのく怪談〉です。
K  なるほど。東北以外の土地に暮らす人たちの〈みちのく〉に寄せるイメージの集積ですか。
土方 そんな物語を、そんな怪談を、東北に暮らす私たちも読みたい。東北の外に暮らす人たちが、どのようなイメージを〈みちのく〉に寄せているのか。〈みちのくびと〉にとって、己がイメージを映し出す鏡のような作品が集まってくれればと思います。楽しみですね。
K  内側からの〈みちのく怪談〉と外側からの〈みちのく怪談〉というわけですね。そうなると、特に後者の場合、もしかすると舞台が東北ではないケースもあり得るんじゃないですか。東京や大阪の飲み屋でたまたまとなり合った東北人に聞いた怪異譚とか……。
土方 そうですね。舞台がどこであってもそこに〈東北性〉みたいなものが感じ取れればいいのではないかと思います。
K  ほかにはありませんか。
土方 もしかすると〈陸の奥〉は、そして〈道の奥〉のイメージは人類史的に遍在するものなのかもしれません。アフリカに誕生した人類が「ここではない、どこか」を求め続けて、世界に拡散した。〈みちのく〉=〈ここではない、どこか〉と考えれば〈みちのく〉はどこにでもある。そのひとつの終点がこの列島のどん詰まりのここ東北だと考えれば、〈みちのく〉は日本史的な意味での〈みちのく〉に留まらないかもしれない。関西や関東など日本史的な〈中心〉から見れば、東北も北海道も、あるいは樺太やシベリアも〈みちのく〉かも知れませんよ。あなたにとっての〈みちのく〉とは、どこなのか、なんなのか……。みなさんの裡なる〈みちのく〉を探求する物語の群れ、それが〈みちのく怪談〉なのかもしれません。
K  なんだか壮大な話になってきましたね。
土方 あ、すみません。なにせ〈赤坂東北学〉が僕らの根っ子なものですから(笑)。こんなことを僕らは考えているとだけご理解ください。あとは、こわくておもしろくて、ドキドキさせてもらえれば、なんでもOKです。東北の人たちには自らの地の〈みちのく怪談〉を、東北以外の人たちとっては自分なりの東北イメージによる〈みちのく怪談〉を、あとは「これが俺の〈みちのく〉だぜ!」という人たちにはそれぞれの〈みちのく怪談〉を、ふるってご投稿いただければ幸いです。ただ、あんまりこんなこというと、〈ここではない、どこか〉を求めてアフリカを旅立ったネアンデルタール人の実話怪談が送られてきて「これも〈みちのく怪談〉だ!」とかいわれそうでこわいんですけど(笑)。刺激的な拡大解釈は大歓迎ですが、ここでいう〈みちのく〉はあくまでこの列島の東北6県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島)が基本です!
K  ネアンデルタール人の怪談は〈アフリカ怪談〉でしょう(笑)。
土方 そうですよね(笑)。なんだか漠然としていて申しわけありませんが、なにしろはじめての試みです。ご投稿いただいた作品を読んで、「これが〈みちのく怪談〉か!」と逆に僕らが知ることになるのかもしれません。それもいいよね。いずれにしても、こんな〈みちのく怪談〉を僕らはお待ちしていますので、みなさん、よろしくお願いします!



※〈みちのく怪談プロジェクト〉の立ち上げに至る経緯は荒蝦夷刊行『仙台学vol.9』所収「〈みちのく怪談プロジェクト〉いよいよ始動」(対談/東雅夫×土方正志)をご覧ください!