松音戸子『九十五の君へ』

 拝啓 今この手紙をどこで読んでいるだろうか。君に話したいことがあって、馴れないながら筆を執っている。
 刈和野駅を知っているだろう? その駅前に、祭事の『刈和野の大綱引き』で使われる綱のレプリカが展示されていたのを覚えているか? レプリカといっても、小さいものでなくて、凄く太くて、かなり長い。ガラス張りの建物に綱だけが寝そべっていて、迫力があったよな? いつものように電車に乗ってその展示を眺めていたら、知らぬ間に大綱の上にいたんだ。端っこにまたがって、落ちないように抱きかかえて。
 あまりに異様な事態に、俺は腰をぬかしたよ。横を見下ろすと、日光に照らされた線路がびかびか光っていた。
 綱の向こう側から『おうおうおうおう』という唸り声が聞こえたので、目をやると、痩せた爺さんがいた。大綱にしがみついて、全身で引っ張っているような仕草をしていた。その迫力に、負けた! と思った。
 そして俺はやってきた時と同じ唐突さで、電車の座席に戻っていたのだけれど、あれはおかしな体験だった。手に綱の跡がついていたので、夢ではないのだろう。

 向こう側にいたのは、君だろ? 何だかそんな気がしたから。俺は定年退職して病気になって、いろいろ気落ちしていた。そんな時、生命力と気力に溢れた君を見て、まだまだやれるぞと元気を貰ったんだよ。
 小学校の時にタイムカプセルにいれた二十歳の自分へ宛てた手紙は、ついぞ届かないままだった。だけどこの手紙は届くと信じているよ。本当にありがとう。俺を引っ張ってくれて。
                                            六十五の僕より