込宮宴『ずんだのおっちゃん』

 今年もお盆には家族を連れて、仙台のおばあちゃんの家に行った。年に一度、盆になると親戚一同がおばあちゃんの家に集まるのだ。
 私達が到着した時には既に他の親戚が揃っていて、おばあちゃんが作ったおはぎやずんだ餅に舌鼓を打っていた。挨拶もそこそこに、私達も昼食代わりに頂くことにした。
幼い息子はおばあちゃん特製のずんだ餅が気に入ったらしく、幾つも食べ、口の周りをうぐいす色にしては皆の笑いを誘っている。
 その親戚の輪の中に、ずんだのおっちゃんの姿はない。
 ずんだのおっちゃんとは、叔父のことだ。豆が大嫌いな人で、お盆に集まった時もずんだ餅を決して食べようとはせず、自分の分を私たち甥姪にくれたからそう呼ばれていた。
貰ったずんだ餅を喜んで食べる私達を見て、おっちゃんが笑う姿が今でも目に浮かぶ。
 そんなおっちゃんが大好きだったのだが、昨年の末に亡くなってしまった。
 そして今では、仏壇から私達を見下ろしている。写真のおっちゃんは、もう笑ってはいない。

 昼食後、余ったおはぎをやずんだ餅を山のように皿に盛って、仏壇に供えた。そして線香を灯し、皆で手を合わせ、おっちゃんの冥福を祈る。
 その晩は、おばあちゃんの家に泊まった。

 翌朝、早めに起きて仏壇の水と米を取り換えた。その際、前日の供え物も下げてしまう。
 下げた供え物はいつも皆の朝食代わりになるのだが、時間が経ってすっかり乾燥して硬くなってしまうので、前日食べた時ほど評判はよろしくない。
 しかし、今年はそうはならなかった。
 皿の上のずんだ餅は、前日と同様にみずみずしい光沢を放ったままだったのだ。一方で同じ皿にあるおはぎは、すっかり乾いてしまっていたというのに。
 試しにずんだ餅を一つを齧ってみると、枝豆の香りが口の中に広がった。
 いつの間にか息子も起きてきて、横から手を伸ばしてずんだ餅を掴み、嬉しそうに頬張っていた。
 ふと見上げた仏壇の中では、おっちゃんが笑っていた。