百句鳥『孫の幻影に抱かれて』

 緩い傾斜地に小さな山村があった。東北の山沿いは降雪量が多くて危険だ。降り積もる雪に足を滑らせたり、落下する塊に埋まるなどの事故は、毎年のように起きる。木造の広い一軒家に住む老婆も、そうした形で娘と孫を失った一人だ。夫は五年前に他界。娘の夫も若くして不遇の死を遂げていた。
 悲哀に暮れる老婆を村中の人々が心配していた。次から次へと身内に先立たれ、さぞや辛苦にさいなまれているに違いないと誰もが哀れみの情を抱いた。
 老婆の様子に変化が現れたのは、温かな春先のこと。現世に未練をなくした彼女の表情が少しだけ明るくなった。村人が訊ねれば、近頃家に訪れる可愛らしい客人に癒されているという。かすりの着物を着たおかっぱ頭の男子で、夜中に現れては棚を開けたり茶器を移動させたりと悪戯をし、朝ぼらけの頃に帰る。途轍もない怪力の持ち主なのか、火鉢にひびを入れられたりもした。
 その童子は老婆の布団に潜り込み、抱き付いて寝る時もあった。すると幼い頃の娘や孫を抱いていた頃を思いだして温かな気持ちになった。本来は迷惑な存在かも知れない。しかし、彼女は小さな来訪者を追い払わずに迎え入れ続けていた。
 そうして月日が流れ、季節が初夏に移り変わる頃のこと。
 隣家に住む主婦は頻繁に食物の裾分けをしている。その日もいくつかの茶菓子を持って老婆の家を訪れた。ところが玄関先で三回四回と呼んだ所、普段と違って返事すらなかった。何しろ年寄りの一人住まい。心配した彼女は座敷に上がることにした。
 敷いてある布団に眼をやれば、半身を布団からだした老婆が見えた。大きく仰け反り、顔を枕から離れた場所に放りだす酷い寝相である。身体の利かない老体らしからぬ格好に訝しまずにいられなかった。
 恐る恐る近寄ると、上半身が湾曲した老婆は息絶えていた。顔は苦痛に歪み、魚のように開いたままの口からは、色を失った舌が伸びていた。