ジャパコミ『英雄伝説』

 取材で宮城を訪れたのは二〇一〇年の秋のことだ。あくる年は仮面ライダー放映開始四〇周年で、私は原作者石ノ森章太郎の伝記を物するため、出身地の登米市中田町石森と、所縁の深い石巻市を巡って聞き歩いた。
 石ノ森章太郎、本名小野寺章太郎は少年時代、熱心な映画ファンで、石森の自宅から映画館のある石巻へと、自転車で二、三時間かけて通っていたらしい。
 取材中、妙なことに気付いた。章太郎が石森にいた日時と、石巻にいた日時が重なることがあるのだ。章太郎が封切り日に観たという映画は、彼が法事で石森を離れていない日に封切られていたりする。矛盾する証言は数件あり、いずれ記憶違いにしても、あたかも章太郎が二人いるかのように感じられた。
 取材先で知り合った人物で、Bという男がいる。三〇年来の石ノ森ファンで、東北のファンや関係者の間では広く知られた人物だ。
 そのBと飲んだときに、酒飲み話として「二人の章太郎」の話をしてみた。彼は、思い当たる節でもあるのか、やけに深く頷くと、今度私も調べてみますよ、と言った。
 その後、あの震災があって伝記の刊行は延期となった。ようやく刊行のめどが立った今年、改めて宮城へ取材に訪れた。Bが被災地の案内を買って出てくれて、私は古川駅で彼の車に拾ってもらった。
「調べてみたらね、小野寺と石ノ森、二人の章太郎がいたんですよ」
 Bは車中でそう告げた。矛盾する証言は、よく聞いてみると一方が「小野寺さん」、一方が「石ノ森さん」と、名前が違ったという。
 ……そんな馬鹿な。石ノ森(デビュー当時は石森)というペンネームは章太郎が東京に出てからつけたものだ。私は聞いた。
「つまり『石ノ森さん』の方が嘘だと……」
「いえいえ。そう言うことじゃありませんよ」
 Bは笑って答え、こう続けた。
「章太郎はね、ヒーローなんですから」