山村幽星『屏風おとし』

 古い田舎屋に住むようになったのは、たまたま訪れた農村で人気のなさそうな農家の日当りのいい庭になにげなく入りこんで、ガラス戸の閉ざされた縁を振り返り、こんなところで暮らすのもと思いだしたとき、いきなり縁側のガラス戸が開かれ、やっぱり人が住んでいたのかとばつの悪い思いに襲われるとともに、いかにも好々爺然とした、ごま塩頭でしょっちゅう笑顔をうかべているのでそれが貼りついたままになったような老人に、「住みなさらんか。いつでも住めるようになっている」と声をかけられたからだった。
 寒い季節になってきた。日中は、囲炉裏で薪を燃やし、炎に包まれるのを見ていた。寝るときには、電気コタツを足もとに置き、枕元には少しでも寒さがしのびよるのを避けるように、納戸から見つけた屏風を広げておいた。柳の糸が何本も風に大きく揺れるところを描き、その下に緩やかな波紋の渦が描いてあった。ある夜、夜中に目がさめ、寝つかれないままコタツの暖をたよりに眠ろうとしていたとき、急に息苦しくなり、部屋じゅうがわきあがってきた水気に浸され、薄青い微光に満たされるようだった。
息ができないと思って、もだえているうちに手を伸ばしていたのだろう、大きな音とともになにかが倒れ、その音で目がさめ、やっとのことで身を起こして、息を整えながらうすぼんやりした部屋を見まわした。とくに変わったこともなく、ただ枕元で屏風が倒れていた。それを立てなおしたとき、絵柄が上下逆さになっていることがわかった。妖しく水草がゆれる水中の眺めとなった。掃除をしたとき、一旦、畳んでおき、開いて立てたときに逆様にしたようだ。
声をかけてくれた老人がきて、不思議な体験を語ると、驚いた顔をされ、この屏風は死期の迫った人を安らかに送りだすため、その枕元に逆様にたてるものだといわれた。