天羽孔明『こけし沼』

 三十年ほど前に他界した、明治生まれの祖父の故郷は、岩手から山形へ抜ける県道の途中にある小さな集落だったそうです。
 その集落から北東へと向かう林道の入口には二本の大きな楠が立ち、その二本を繋ぐようにして太い注連縄が渡らされ、それより奥へは妄りに立ち入ることを禁じられていたそうです。
 しかし祖父は、子供の頃にその先へ行ったことがあると言っておりました。
 その注連縄の先、およそ半里ほども山道を登ると、そこには深い緑色の大きな沼があったそうです。
 その沼の畔に建つ祠には、こけしの形をした石の地蔵が納められ、その周囲にも大小様々なこけしが置かれてあったそうです……。
 しかし祖父は、その沼からどうやって戻ったのかという記憶がなく、注連縄の楠の下に所在なげに立っている所を同じ集落の人に連れて帰られ、その後自宅で高熱を出し、三日間も眠っていたといいます。
 不思議なことに祖父は、その沼の光景を鮮明に覚えているのに、何故その沼へ行ったのか、いやそれどころか、高熱から目覚めた時には自分の名前も含めて、それまでの記憶が一切無くなっていたようなのです。
 後年、誰に教えられる事もなく、なぜかその沼はこけし沼と呼ばれる沼であることを知ったようでした。亡くなる前、病院のベッドで、自分は本当は弟で、こけし沼で兄と生まれ変わったなんて言ってましたが、それが本当のことかどうかは定かではありません。
 ただ、僕がまだ中学生だったころ、酔っ払った祖父が言ったことを今も覚えています。

こけし沼のこけしは、子供を間引くって意味があったんだ。儂は本当は間引かれの子消し仔なんだ。兄貴、すまない……』と……。