『万吉転がし』/かもめ

 方々に、狐に纏わる話は数多くある。この三陸の島にも、狐に化かされて死に到った男の話が、実しやかに言い伝えられている。ただ、これは実話だとのことだが、私はその男の墓の所在を知らない。
 島の北部一帯は山で、建物といえば、千年の歴史があるという、朽ちかけた神社があるだけだった。だが、山に彫刻刀で彫ったように細い道をどこまでも歩き、さらに中腹を鉢巻状にくねる山道を下りきったところに、三、四軒の民家が点在している。ちょうどそのくねった山道に万吉が通りかかったのが深夜の二時ごろだったという。里の友人と呑み、ほろ酔い気分で足をとられそうな険しい道を千鳥足でくだる万吉は、生い茂る木々の合間に見え隠れする女人の姿を眼にして立ち止まる。酒が見させる幻覚かな、と思い、眼を擦って見直すと、妙齢の美人は雑草にしどけなく臀を落とし、妖艶な微笑みで手招いていた。三十歳の男盛り。正気なら、男でも夜には怖気づく山間に女人などいるはずがないと思うのが当然ながら、万吉はしかし、誘われるままに一歩、女のほうに足を踏み出した。手招いている女が夜目にも鮮烈な赤い舌をちろっと出して微笑む。切れ長の眼に魅せられる。近づき、手を差し伸べた。晩秋に近く、肌寒い。それなのに女は襦袢のようなものを一枚纏っただけなのに、近寄ると熱を感じさせた。襦袢を掴む。高価な毛で覆われているような襦袢だった。掴んだ襟首が乱れ、腰の紐が解けて、たわわな乳房が見えた。昂ぶり、口を求めたその瞬間、振り返った女の顔が金色の毛に輝き、求めた口から飛び出した牙が、万吉の喉笛を抉り取る。翌朝、山道から険しい崖を滑り落ちたらしく、雷に打たれて途中から折れた杉の木に串刺しになった万吉の遺体が発見された。しかし、無残な姿にも係わらず、万吉の顔は陶然としていた。以降、島ではその坂を、「狐の万吉転がし」と呼び、立ち止まり、手を合わせる。