『秋の夕暮れ』/みどりこ

 傾き始めたと思ったら、夕日はあっという間に沈んでしまった。それが合図だったかのように風が出てきて、薄闇の中で木々がザワザワと揺れ始める。子供の頃に父がしてくれた昔話を思い出したのは、そんなシチュエーションがよく似ていたからかもしれない。
――さびしい秋の夕暮れ、旅人が山道を歩いでだっけ、一軒の家にたどり着いたんだど。
 岩手生まれの父は宮沢賢治の童話を真似ていたのだろう。奥に行く度に看板があって、靴や服を脱げの、体を洗えのと指示されて、挙句食べられそうになるいう例のあれだ。
 もちろんこんな山奥に家などあるはず――しかしその家は忽然と俺の前に現れたのだった。まるで山姥でも出てきそうな古色漂う造りで、しかも『アブナイモノハココニオイテイッテクダサイ』と書かれた看板まである。
 俺はあまりのことに笑い出してしまった。
 悪い冗談だろうか。だがとにかく先へ進むことにした。寒かったし、腹も空いていた。
 当然ながら銃は持ったままだ。なにしろ一千万の報酬で名の知れた暴力団幹部を狙撃してきたのだ。無事に高飛びするまで気を抜くわけにはいかない。
 その家は妙に奥行きがあり、童話さながらにいろいろな注文が待ち構えていた。けれど俺は少しも慌てなかった。対処の仕方はわかっている。武器だってある。最終的に俺は首尾よく、そこから脱出することができた。
 けれどもしばらく行くと、よく似た家が見えてきた。そこから逃げても同じだった。また家が待っている。何度やっても、どこへ行っても、目の前には古びた家がうっそりと現れた。そうやって俺はもう何十時間もたそがれ時の薄闇をさまよい続けている。
 父の昔話の結末は知らない。いつも途中で眠ってしまったからだ。だが実は『秋の夕暮れ』ってヤツが一度足を踏み入れたら永遠に抜けられないものだからではないか――俺はそのことにようやく気づいたのだった。