『夷酋列像』/新熊昇

(再び松前に帰ることはあるのだろうか?)
 波響は津軽海峡に降りしきる雪を眺めながら、遙か蝦夷地に心を馳せていた。
 いま立つのは陸奥国伊達郡梁川、彼の地に描き置いてきたのは駆け抜ける風と森の息吹、雪の白さと祭りの日に熊を屠ってコタンの神に捧げる松明の炎だった。
(唯一慚愧なことは、『かれら』を一度も見ることなく描いたことだ)
 ふと見上げると、雪と雪山のはざまに蝦夷錦の外套に身を包んだツキノエ、イトコイ、ションコたちの姿が見えた。ションコは部族に伝わる強弓を手にしていた。それは彼にしか引きえないものと言われていた。額に刻まれた皺や鋭い瞳、屈強な四肢は、すべて波響が心の中で思い描いただけのものだった。なぜなら三人は松前で催された宴には来なかったからだ。それはそうだろう。いかに和睦のためとは言え、彼らは徹底抗戦を唱えた同族を討ち果たしたのだ。中には眷属もいれば友もいたはずだ。蝦夷錦の外套、露西亜の毛皮、韃靼の帽子、どれも松前藩が交易で手に入れた物で、「かれら」が実際に着用しているところを見た者は誰一人いなかった。
(和人がかれら同士を闘わせたのだ。だからそのように描くしかなかった。なにしろ京で帝の天覧の榮にも浴したのだ。松前での評判も悪くなかった。誰もが大いに納得していた。拙者自身も。「本物より本物らしい」と)
 時々夢に見るのは、紅毛の南蛮人たちが葡萄酒の入ったギヤマンの杯を片手に列像を愛でる光景だった。「ほほう、黄金の国の北の果てにはかような人々が住まうのか」と……。
 描かれた姿そのままのツキノエ、イトコイ、ションコたちはいま一度波響を一瞥して、流氷の欠片が輝く海峡を渡っていった。氷に映った自らの顔を何気なく眺めると、そこに見慣れた月代はなく、一面濃い鬚で覆われたいかにも蛮族という印象を与える赤銅色の顔が映っていて視野から去ることはなかった。