『山寺にて』/芙蓉

 その男に気づいたのは、芭蕉の句に由来するせみ塚の上、仁王門を過ぎたあたりだった。
 間に若いカップルをはさんで、五十段くらい下を歩いている。
 ベージュのポロシャツに同系色のチノパン、それにグレーのジャケットをはおったいでたちは、けっしてとっぴな組み合わせではないが、寺の参道で同じ服装で鉢合わせるのは、珍しいといっても過言ではないだろう。
 年かっこうも背かっこうも似ている。
 一度意識してしまうと、気になってしかたがない。
 かといって、あまりたびたび振りかえって見るのは、相手に気取られるとばつが悪いのはもちろん、すぐ後ろにいるカップルがじろじろ見られていると勘違いして気を悪くするおそれもある。
 不自然でない程度に間をあけて、腰をのばしたり膝をなでたりしつつ背後を窺ったが、相手もいつも体の向きを変えていて、正面から顔を見ることができない。
 奥の院へ至る道から五大堂に向かって分かれる道に入った時も、カップルに続いてその男もついて来ていた。

 長い階段の先は、五大堂だ。
 平日のせいか、すばらしい眺望の堂内には、老婆が一人と、少し先を歩いていたカップルとしかいなかった。
 あの男は――
 見回したが、どこにもいない。
 カップルに聞いてみたが、自分たち以外は目に入っていないようすだ。諦めて、老婆に近寄って声をかけた。
「少し前に、私と同じような服装をした、年かっこうも背かっこうも似た男が上がってきませんでしたか」
「さあ……見なかったねえ」
 あの男は――どこに消えたのだろうか。