『鬼の社』/神沼三平太

 初夏。特にさしたる理由も無く、北を目指して旅に出た。今から思えば、呼ばれたと言えるかもしれない。
 初日、二日目は観光地を巡った。物珍しくもあったが、正直「こんなものか」という落胆もあった。上辺を撫でるような旅に違和感を感じた。だが三日目、まだ夜も明け切らないうちから目が覚めた。何かに急き立てられるように、矢も盾も溜まらず宿を抜け出た。
 初めての町にも関わらず、全く淀まぬ足取りで、辿り着いたのは山のふもとの小さな神社だった。磨り減った参道を駆け上がり、清廉な空気の中、本殿と相対した。
――いや、ここではない
 まだ先だ。本殿の背後に回った。山中から呼ばれている。行かねばならない。焦りがあった。逡巡したが、まだ霧の晴れない木々の間に足を踏み入れた。
 小一時間も登っただろうか。霧の山中に、見事に苔むした坂があった。踏んで上がるのも躊躇われる程の深緑の絨毯を、転ばぬようにゆっくりと登る。その路の果てには、巨きな石が割れて幾つも転がっていた。
 ああ、これは鳥居か
 砕けた石で足場が悪い。そこを乗り越えると、石畳の敷かれた平坦な広場に出た。
不意に風が吹き、霧が晴れた。周りを真っ白なツツジに囲まれていた。
――あれだ
 広場の中心に、巨大な石が重なり合っていた。デフォルメされた人間の頭部だ。いや、人間ではない。額から二本の角が突き出している。鬼だ。朽ちて苔むしているが、鬼だ。
 気づくとその鬼の面の前で、大粒の涙を流していた。四十路の中年男が、だ。泣いて泣いて、声を上げて泣いて、泣き疲れて寝た。
 何時間経ったか分からないが、心がすっからかんに軽くなり、満足して山を下りた。

 十二年経っていた。