『かくれさごこけし』/岩隣明来人

「もういいかい」と、高く弾む声が古い日本家屋の中に響き、そして染みるように消えていく。外では大粒の雨が落ちている。海馬少年は大黒柱に顔を俯せたまま言った。しかし相手からの返事はない。彼はこけしとかくれんぼをしているのである。海馬少年には人間の友達がいない。彼は無邪気な顔と高く弾む声を持つ少年だが、同時に相応の年に似つかわしくない憂いをおびているのだ。子どもはその異様な性質に敏感なのか誰一人海馬少年に近寄ろうとはしない。事実大人も彼の異様さには敬遠していた。
そんな海馬少年にただ一人付き添っているのがあのこけしである。ミズキから彫られた白い肌が美しい鳴子のこけしである。少年の母親が形見として海馬少年に与えたものであるが、本人はそのことを知らない。父親は社の宗家として多忙な立場にあり、海馬少年と接する機会は殆どなかった。故に今ではこけしだけが家族であり、唯一の友達である。軈て陽が照り付けるようになり、青い空を映す水溜りも徐々に消えていった。
海馬少年は空が晴れると林の方へこけしを持って走っていく。先程まで降った雨が泥を含んでどす黒くなり何処かへ流れていった。少年は林の中を深く進んでいき、そして一本の大木の前で止まりこけしを置く。すぐに少年は大木に顔を俯せ数え始める。「もういいかい」と、少年の澄んだ声が林を抜けて何処かへ消える。すると不思議なことに地べたに置いた筈のこけしが姿を消した。少年が付近の叢をかき回すとこけしが姿を現した。また少年が数えるとこけしは再び姿を晦ました。今度は中々見つけられない。少年が楽しそうに空を仰ぐと、大木の枝の上にこけしが乗っていた。「みいつけた」という少年の弾んだ声が麓の人々の耳に届く頃には夕焼けが広がっていた。人々は海馬少年がこけしとかくれんぼをしていることを知っており、「かくれさごこけし」という名前をつけたのだった。