『圧政下』/坂巻 京悟

鈴虫が鳴き始めると故郷を思い出すよ。そろそろあの劇団が来る季節だなあ、って。
ああ――うん。貴重な体験だった。
秋の夜長、近所の家から人が出てくる。これから一夜の戦劇が催されるんだ。桃色提灯が道標として二筋の光矢を成している。行き着く先は神社の境内、夢幻の舞台さ。
ある人達は開演前に神社を立ち去る。観覧が許されるのは十歳未満の子供だけなんだ。
幼い男女が犇(ひし)めき合っているのに、無駄な私語は微塵もなかった。もう雰囲気に呑まれてしまっているんだね。さあ、間もなく凄いことが始まるぞ、と。
劇の演目は決まってる。毎年恒例だ。征夷大将軍坂上田村麻呂と、蝦夷首領・阿弖流爲(あてるい)の物語。両巨頭は共に鬼の面を被っていた。――そう、どちらも鬼なんだよ。坂上田村麻呂が正義の代表だとか、反対に中央からの侵略者だとか、そういう判り易い筋立じゃなかった。なまはげと同じで、可能ならば無関係で居させて欲しいという、おっかない顔に創られていた。どちらもね。
子供達は単なる観客じゃない。東北、蝦夷の民草として世界に参加させられるんだ。無論、打ち合わせなんかないよ。ぶっつけ本番、どう動くかは本人の自由。まあ坂上田村麻呂に付くか、阿弖流爲に付くかを選ぶんだけど、大抵は征夷大将軍が勝っちゃうらしいね。何せ肩書が格好良いものね。
「今年はどっちが勝った?」
夢見心地で家に帰ると、そう親から訊かれるんだ。
何故かというと、稀に自分で玉座に就く子が出現するらしい。軍神鬼神を押し退けて、自分が蝦夷の民草を掌握する。とんでもないよな。伝説の餓鬼大将さ。どんな芝居になるのやら、僕も知りたいよ。
その子等は劇の終幕直後、神隠しに遭うそうな。神様から才能を見込まれるというのが今に伝わる評だ。どんとはれ、ってね。