『蝦夷の唐櫃』/村岡 好文

 志波城が築かれたのは、アテルイ降伏の翌年のことであった。蝦夷に対する最前線基地として、雫石川の南岸に、胆沢の鎮守府よりも広大な要塞が造営されたのである。ここには二千人以上の兵士と官人が暮らしていた。
 犬丸は服属した志波郡の蝦夷に生まれた少年である。彼は志波城の中で、雑用をこなす役目を与えられていた。
 ある時、志波よりも北に住む蝦夷の部族から、朝貢品が贈られてきた。大小百近くの櫃に入れられた毛皮や砂金などである。犬丸は仲間と共にそれらを倉や政庁に運び込んだ。
 それから暫くして、ちょっとした騒動が起きた。兵士が数人、夜中に脱走したというのである。詰所に宿営していた彼らは、誰の目にも触れず、翌朝には姿を消していた。犬丸は、その詰所に放置されていた唐櫃を片付けるよう命じられた。北の蝦夷からの朝貢品が入っていた唐櫃だった。持ち上げると軽かった。蓋を開くと、中は空であった。兵士たちは倉から唐櫃を持ち出し、中身を奪って逃げたのだと犬丸は思った。ただ何故この一つだけを、ということが少し気になった。犬丸は唐櫃を倉に戻した。
 だが三日と経たぬうちに、また夜中に兵士が消えた。今度は一度に三十人であった。兵士たちが控えていた部屋に、空の唐櫃が残されていた。犬丸はまたそれを倉に片付けた。
 翌日、今度は官人の一家が従者もろとも消えた。その官人が住んでいた居宅にも唐櫃があったと聞いて、犬丸は嫌な感じがした。
 その夜、眠っていた犬丸は、何かがきしむような音を聞いて目を覚ました。月明かりが差し込む部屋の一隅に、あの唐櫃が見えた。その蓋が、かすかに動いていた。犬丸は跳ね起き、寝間着のまま後をも見ずに逃げた。気付いたときは城外の森の中だった。
 志波城からことごとく人が消え、雫石川の大水によって城が破壊されたのは、それから間もなくである。