『滅びの駒音』/村岡 好文

 平将門の乱から早や九年。将門討伐に成功した平貞盛は目論見どおり出世を遂げ、今や陸奥鎮守府将軍であった。その貞盛に、津軽で不穏な動きありとの報がもたらされた。
 奥羽の地は、度重なる征討にも関わらず、夷狄たちの反抗が今なおくすぶっていたのだが、貞盛にとって朝廷に従わない者は鎮圧の対象でしかなく、それを成し遂げることこそが己の栄達に繋がるのだと考えていた。
 貞盛は、臣下の並茂に兵をつけて津軽へ向かわせた。だが、その結末は惨憺たるものだった。敵に額を射抜かれた並茂をはじめ十三人が討ち死にした。生還した兵によれば、一行は突然、地鳴りと共に黒い霧に囲まれ、四方から矢を受けてたちまち壊滅に瀕したという。その間、敵兵の姿は見えず、敵将が坂麿と名乗った後、声を押し殺して笑うのが聞こえただけだった。
 兵たちは気が変になっているのだと貞盛は思った。地鳴りは馬の駆ける音、黒い霧とは土埃に過ぎまい。
 だがその後、坂麿の進撃は加速した。仙北から田沢湖紫波、和賀と進み、明日にも胆沢の鎮守府に迫るかと思われた。
 一体坂麿とは何者なのか。友好的な蝦夷に訊ねても全くわからない。打つ手は全てはね返され、鎮守府の兵たちの中には逃亡を図る者も出る始末だった。貞盛は怯えた。
 その夜、寝床の中で、貞盛は嫌な地鳴りを聞いた。はっとして上体を起こすと、黒い霧に取り囲まれていた。
「にくしや、さだもりい」地の底から湧き出るような声に貞盛の血が凍りついた。「いずれわがすえがあるじをたててぬしのすえをすみとものうみにしずめるであろう。」
 貞盛の目の前に、額に傷のある真っ白い顔が浮かんだ。その口元が歪み、歯の間から息がもれるように「しい」と笑った。貞盛は、その顔が名乗るのを聞いた。「さかまろ」ではなく、「まさかど」と聞こえた。