『フクちゃん』/須田 晶彦

 私がまだ小さかった頃、祖父の家にフクちゃんという男の子が住んでいた。彼は父の妹の子で、私とはいとこ同士の関係にあった。
 フクちゃんは六つを過ぎても言葉が話せず、また立って歩くことも出来なかった。子どもにはまだ大きすぎる、真っ赤な半纏の裾をバタつかせながら、フクちゃんはいつも奥の部屋でひとりぼっちで遊んでいたのだった。

「フクちゃんのいる部屋に近づいてはいけないよ」と、遊びに行くたびに祖父母は私に厳命していた。今思えば、彼らにも思うところはあったのだろう。それでも、歳が近いせいもあってか私はフクちゃんが好きだった。
 彼は言葉こそ話せないものの、私の言葉は理解している様子だった。結局私は、祖父母の目を盗んではしばしばフクちゃんの部屋へと遊びに行っていた。部屋の磨りガラスの向こうで、フクちゃんの赤い半纏がもぞもぞ動くのを見るたびに、私は嬉しくなるのだった。

「フクちゃん、それはなんの絵?」

 ある時、二人でお絵かきをしている最中私はそう尋ねた。その日のフクちゃんは少し様子がおかしかった。普段は色とりどりのクレヨンで、画用紙いっぱいに丸や線を描くのだが、今日は画用紙の隅に小さく赤いぐしゃぐしゃの線を描いただけだったのだ。私の言葉に、フクちゃんは「えうー」と呻いて腕を振り回しただけだった。機嫌が悪かったのだろうか。半纏の裾が床に当たって、パタンパタンと音を立てていたのを今でも覚えている。

 それからほどなくして、フクちゃんは肺炎を起こして死んだ。ちょうど稲刈りが始まる時期だったと記憶している。それ以来、稲刈りの時期になると、時折視界の隅に赤いものが動くのが見えるようになった。パタンパタンと、懐かしい音を立てて揺れる赤を視界に
とらえるたびに、私は幼くして死んだフクちゃんのことを思い出してしまう。

 そういえば、今年の風邪はいやに長引く。