『新たな民話』/一双

「三太郎。おめぇ、去年の夏によ。村に泊まった学者様を覚えちょっか?」
「村長じきじきお迎えしたお方のことか。確かヤナ、ヤナ……」
「柳田様じゃ。柳田国男様。七日ほどしかおらんかったが、家や畑の話を熱心に聞き集めちょったじゃろ」
「そうじゃそうじゃ。猪猟や神様の話になるとさらに熱心でな。垂れた目を子供みたいにくりくりさせて、楽しいお方じゃったな」
「その柳田様が本を出したのを知っちょるか? 元になったのは徳蔵の家の古文書じゃ。村長が頼まれて写した物を送ったらしい。柳田様が出す最初の本で、名前は後狩詞記と言うのじゃと」
「ノチノカリコトバノキ? 難しそうな名前じゃな。古文書ってのは狩之巻のことじゃろ。あれの中身はわしら猟師の知っちょる作法ばかりで、残りはわけのわからん言い伝えばかりじゃ。本になっても大丈夫じゃろ」
「あぁ。そこは心配いらん。柳田様も椎葉村に迷惑はかけんと本に書いとるそうじゃ。わしが気にしちょるのはそこじゃねぇ。あの方の正体じゃ。わしは柳田様が村を去る日に胡桃峠で話をしたとよ。あの方は東北の空を眺めて言うちょった。
「見える。道の奥が見えます。遠い野原がよく見えます。私は次にあちらの山へ行くのですよ」
 横にした右手を額に当てて言うちょった。その手をのけると、額の真ん中に短く太い皺があったんじゃ。そいつがぼうっと光ってな。開きよったんよ。目玉があった。半目で眠そうな目がくりくりしちょったわ。三つめの目はわしに気づくとすぐ消えた」
「どういうこっちゃ?」
「いいか三太郎。よく聞けよ。あの方はこれからすごいことを為さるはずじゃ。日向の山を始めとしてあらゆる山を駆け回るぞ。柳田様はな。都会に住む天狗様なんじゃ」