『土還る、水を得る』/こまつまつこ

 私の地元にはダム湖があって、そこには小さな村とアーチ橋が沈んでいる。橋はいつもは湖の中だが、夏になって水位が下がると、湖からその姿を現すのだ。

 学生時代に授業で、橋をレポートする事になった。私が橋の写真を撮っていると「こっちゃこーい」という声が聞こえた。声は橋の下からだった。アーチ橋の下を覗くと、半円のトンネルの向こう側に手を振る人影があった。橋を挟んだ向こう側もこっち側も湖のままなのに、橋の下を覗きこむとやっぱり人がいる。こちらに向かって手を振っている。近くで確かめようにも水のせいで近づけない。結局その日は諦めた。

 次に来た時も「こっちゃこーい」と呼ばれた。その日はとても暑くて、湖の水はほとんど枯れていた。橋の下の向こう側を覗くと、人影があった。ただこの前とは違って、今度は水に邪魔されずに橋の側まで歩いていくことができた。近くまで行ってよくよくその人影を見ると、私は背筋がゾッとした。

 その人はグチャグチャの泥人形みたいに腐った女の人だった。顔の半分などは皮が剥がれ落ちて、中の肉が丸見え。こちらに向かって思い切り手を振るもんだから、どろどろになった部分がボトボトと地面に飛び散った。女の人はそれでも私を呼び続けたが、私には橋の下を潜る勇気はなかった。

 その内、女の人は強い日差しを浴び過ぎて、すっかり干乾びてしまった。枯れ木みたいにカサカサになった腐肉は、乾燥した紙粘土みたいにぽろぽろ崩れて、しまいにはただの土の山になった。しばらくして土塊の中から色鮮やかな錦鯉が出てきた。鯉と目が合った。

「こっちゃこーい」

 そのことを祖母に話すと、「あすこの村の血筋はよう呼ばれんだ」と笑った。

 次の日に大量の雨が降って、橋はダム湖の底に沈んだ。翌年も湖は干上がったが、橋の下がどうなっているのかは知らない。