『広瀬川畔、たたずむ少女』/康

 僕は今春、大阪から転勤で仙台へ来た。先日、霊屋橋辺りの川原を散歩していると、女の子がたたずんでいた。小学校前の年頃だろうか。やせて小さい。格好が懐かしい。元はピンクと思しき薄汚れたブラウス、スカートは赤と茶のチェックで膝下までぞろり。ズックの靴は泥まみれ。笑った。これが仙台だ。
 女の子と目が合った。赤い頬に丸い目。今時流行らないおかっぱ頭。サザエさんのわかめそっくりだ。いきなり尋ねてきた。
「お母さん、知らない」
「あれ、どうしたの、はぐれたの、お家は」
「途中で見えなくなったの。お家は帰れない」
近頃の親は無責任だ、まったく。
「お嬢ちゃん、お母さんと遊びに来てたの」
「ううん、逃げて来たの、お母さんと」
 多分DVか。みすぼらしいのもわかる。母親の夫がひどいやつなのだ。興味はあるが、他人事、関わり合うまい。話し込んで、不審者扱いもいやだ。警察に任せたいが携帯電話も無い、交番も知らない、通りすがりの人もいない。
 少女は自分の名前の他は住所も電話も言えなかった。教えとけよ、と親を呪った。
「そこで待っててね。電話、探してくるから」
 僕はやっと赤電話を探しあて、警察に通報して橋に戻ってみると女の子がいない。最寄の交番から駆けつけた警官と一時間も付近を捜し、結局、子供は親が連れ帰ったか一人で帰った、と結論した。誘拐の虞も無いことは無かったが「その場合は親から通報があるでしょう」、と警官は僕を解放してくれた。名前と住所はきっちり聴取された。
散歩再開、ついでに仙台の戦災記録を展示した大町の記念館に寄った。知らなかった、六十五年前、仙台大空襲で千六十六名が亡くなったとは。犠牲者の生前写真もあって、その一枚に、こちらへ恥ずかしそうに笑うおかっぱの女の子。どこかで……あ、さっきの……。