たまりしょうゆ『国際リニア・コライダー(ILC)』

「臭くてわがねじゃ、はやぐ持ってけろじゃ」
 老人は道端の石碑に腰かけたまま、顎をしゃくる。ボリボリと首筋をしきりに掻いている。
 黒服の男が「お引き取りしますよ」と答えるのを合図に、背後に停車していたバンから防護服姿の男が数人降り立った。男達はキュウリ畑の一角から、異臭を放つ粘液質の死体を手際良く担架に乗せて車に積み込んだ。ダラリと力なく垂れ下がる腕は緑色の粘液に覆われていて、指には水かきのようなものがあった。
「メドヂ三匹。ですな」
 黒服は胸ポケットから茶封筒を取り出し老人に差し出す。
「役人ば田舎さ危ねぇモン押し付けて……これだじゃ」
 老人は口角を僅かばかり上げながら封筒を受け取る。
「国際リニア・コライダ−(ILC)は岩手の震災復興の目玉だったんですがねぇ」
 全長30kmを超える直線トンネルが北上山地を貫いたのは一年程前だ。超高エネルギーの電子・陽電子の衝突実験を行う為のリニアコライダー加速器施設は地下に建設された。
 それは無事稼働した。が、順調過ぎたのだ。超高密度のエネルギー衝突は、空間を歪め異界への『穴』を穿った
 ほどなくして地獄の蓋が開いたかのように水辺を中心に異形の生物が溢れだした。農作物の被害や、水の汚染、謎の奇病がが深刻化し、地方自治体や保健所だけでは事態に対応しきれなくなっていた。
「そういえば、奥様はどうなさいました?」
「……毒にあてられたんべか、寝でらじゃ」
「それはいけませんな、お大事に。では、私はこれで」
 黒服は表情を変えず車に乗り込み、田舎道を去って行った。
 しばらく胡乱な目つきでバンを見送っていた老人は、やがて陸自所属の大型ヘリが遥か上空を飛んで行くのを見上げた。
 遠雷のようなその音を聞きながら老人は、血の滲んだ首筋を掻き毟り続けていた。