夏沢眞生『Light Up Nippon 8.11』

 凪いだ海の砂浜に寄せる細波のようでもあり、木々の梢を渡る春風の、若葉を揺らす音にも似ていた。さわさわと声が聞こえている。
「りなちゃんは花火が好きだったねえ」
 菊池のお婆ちゃんが言って力なく項垂れる。
「そうだな……だけど仕事が忙しくて、花火大会にはなかなか連れて行ってやれなかった。もっと時間を作ればよかった今さらだけどな」
 息子の一志さんが寂しそうに目線を遠くへ投げる。わたしは掛ける言葉も見あたらず、ただぼんやりと暮れなずむ空を眺めていた。
「みっちゃんとこは――」
 一志さんは言いかけて、やめた。陽は西に沈もうとしている。すぐ後ろに立っている若い子が、花火は何年ぶりだとかスターマインは見られるかとか、楽しそうに話していた。
 最後に花火を見たのはいつだっただろう。
 きっと結婚する前だ。和樹と遊びに出かけた東京で、隅田川の花火を見た。墨を流したような夜空には、色とりどりの花が咲いていた。打ちあがる度に人々の歓声があがり、弾ける音にお腹の芯まで震えた。浴衣姿の女の子たち、つやつやと赤いリンゴ飴。ソース焼きそばのいい匂いがしていた。潮の香りも混じっていて、ここは海が近いのだと思った。
「見て! 始まったよ」
 ヒューー。甲高い打ち上げの音が聞こえた。一瞬おいて、ドドン、パチパチパチッ、花火の弾け飛ぶ音も、華やかにつづく。
「うわあ、パパ、きれいねえ」
 舌足らずな愛娘の声が聞こえてくる。和樹に手を引かれ、二人は対岸で笑い合っていた。
「ママも、花火見てるかなあ?」
 ぜんぶ見ているよ、ぜんぶ聞こえているよ。わたしの声は、あの子に届くだろうか。
 胸の奥で、ことん、と何かが落ちる音がした。手足は温かくなって、透けるように白いわたしの腕が、夜の一部になっていく。
 パチパチパチ。花火は鮮やかに空を散る。赤や青、緑や白。光の雨が降りそそいでいた。