ジャパコミ『税込四二〇円』

 小学校最後の夏休み、私は大叔父の法事で父とともに盛岡へ行った。はじめて行く、父の故郷だ。法事が終わった後、二人で三ツ石神社を見学した。岩手県の名の由来になった「鬼の手形石」が祀られたお社である。かつて悪い鬼が神さまによって追放され、二度と戻らぬ証しとして巨石に手形を残したという。
 おかしい、この辺についていたはずなのに、と父は苔むした巨石を前にさんざん首をひねった。そして私に「なあ、なにかみえないか」と、期待のこもった声で聞いてきた。この子は感受性が豊かで勘が鋭い。父は日ごろ、そんな風に私を褒めていた。
 目をこらしてみるが、やはり手形とおぼしきものは見えない。素直にそう答えると父は、雨に濡れると見えるらしいんだが、といって、あいにくの晴天を苦笑して仰ぎ見た。
 少し落胆しているその姿をみて、ちょっとしたインスピレーションが私に降りてきた。
「手形が消えたのってさあ、もう罪が許されたってこと、なんじゃないのかな」
私の言葉に、一瞬父はあっけにとられたが、「なるほどなぁ、君にはそう、みえるのか」と、やけに神妙につぶやいた。
翌朝、父と私は土産を探しがてら、商店街を抜けて駅まで歩いた。街には、追放をとかれた鬼たちが跋扈していた。あるものは特産品を誇らしげに掲げ持ち、あるものは涙目でゴミの分別を訴えている。盛岡に来てから、あちこちで目にした種々のPRポスターだ。
 神さまが本当に許したかどうか、私は知らない。酸性雨で手形を消し、こうして「ゆるキャラ」として鬼を招き入れたのは、その意図のあるなしに関わらず、人間の仕業だ。
帰りの新幹線のなか、私は指先で揺れるキーホルダーを見つめていた。杉板にごつごつした手形と子鬼のイラストが焼き付けてある。「鬼の手形」キーホルダー、税込四二〇円。
 神さまとの誓約を反故にして、新たに人間と交わした契約の証しが、ここにある。