ジャパコミ『宮澤賢治は読まれ続ける』

 「石炭袋」を覆う夜空に、ひときわ輝く星が現れた。流星ではない。銀河の縁に座標を定め、信号灯のように瞬いている。プレスセンターとなっている甲子の集会所は騒然となった。記者たちは「サウザンクロス」だの「蠍の火」だのと、星の名を口ぐちにつぶやいた。
 釜石湾を覆う、黒いガスのドームが忽然と出現してから約ひと月。震災や放射能との関連が取りざたされる中、気象庁は原因不明という声明しか出せず、現象の正式名称すら決めあぐねていた。僕ら取材陣はといえば、発生から数日後には、もう「石炭袋」という俗称を使っていた。地元被災者の言葉として紹介されたが、実のところ、命名者は僕だ。
 週刊誌記者として現地入りして間もなく、僕は奇妙なうわさを捉えた。「ドーム出現の前夜、蒸気機関車釜石線を東へ走っていった」というものだ。場所柄、「銀河鉄道の夜」がすぐに頭に浮かんだ。震災の犠牲者が今も眠る水底から、墓標のように立ち上がる「石炭袋」をめざし、瓦礫の街を走り抜ける「銀河鉄道」。
 僕はためらいなく、黒いドームを「石炭袋」と書いた。裏の取れる目撃情報はなかったが、慰霊の物語になると思えば筆がのった。掲載号が発売になると、さらに目撃情報が集まった。大手メディアは静観したが、WEBでの議論は過熱し、宮澤賢治は神格化すらされ始めた。誰もかれもが書き、語り、ツイートした。「ほんとうのさいわい」だの、なんだのと。
 翌日、ドーム上に現れた星はマイナス四等級の超新星だと発表があった。編集長からは『超新星宮澤賢治』で一本書けという命が下った。その後もドームに変化は無い。原因も不明なら解決策も皆無のままだ。
 港と漁場を奪われ、市街地からの再避難を余儀なくされ、復興への道程を失った釜石の人々は、あの星をなんと呼んでいるだろう。
 いまさら、取材する気なんて起きない。
 そういえば、あの機関車のうわさも、謎のまま――いや、これもどうでもいいことだ。