路ノ 茨『蓮姫』

 宮城の県北。夏の頃、田畑の鮮やかな緑の中に、ぽっと桃色の灯がともる。伊豆沼をはじめとした三つの沼に咲く古代種の蓮の花である。
 毎年花の見頃には蓮祭りが開かれ、小型船で沼を遊覧出来るのが魅力だった。沼の端ではカメラを携えた者達が熱心に沼の有様を納めていた。
 彼らからずいぶん離れた沼の端に今、自分は居る。
「この沼のそばには昔、自分の祖父の家があったそうです」
「…」
「ご存じのとうり、朝は水鳥がやかましくってね。でも花咲くここを祖父は格別に想っていたみたいで」
「……」
「今、自分達は町の中心部に住んでいます。祖父の代に移り住んだんですけどね。でも当時、親戚中が移住に賛成する中、祖父だけは、頑として首を縦にふらなかったそうです」
「………」
「とうとう自分だけ残るなんて言い出したんですけど、でも祖父一人じゃ飯も用意できないってんで、結局最後は祖母が折れて、夏に沼の蓮が咲く間だけ、私とここに戻ってきましょうと。そうしてやっと、解決したそうですよ」
 自分が話す間、相手はおかしそうに手を口に当てて「ふ、ふ、ふ」と笑っていた。
「そんな祖父を亡くなるまで、変わり者ぐらいにしか思わなかったんですが」
 自分は一拍、間を置く。言った。
「今は、わかります」
 目の前のこの世の者ではない、美しい姫に言った。
 いつだったか、祖父がなぜこの沼を訪れていたのか不思議に思い、赴いたのがきっかけだった。その年は天災で沼の蓮は殆ど駄目になり、この先の祭りさえ不可能に思われる程の被害だった。そこに、見たのだ。立ち上がり、手を取り合い、沼と蓮の手入れをする地元民達。それを眺めるように沼の端、憔悴している様だったが、だが美しくそこに立つこの姫を。
 今、蓮は見事に回復し、来る人々の目を楽しませている。人が手を伸ばし続けるかぎり、この美しい自然はその手を差し伸べてくれるのだろうと、姫を見て思った。いつであっても、何があっても。