ルリコ『河童の首くくり』

 夜半に、勝手口から遠慮がちに昆布問屋の使用人が声を掛けた。畳を2枚、早急に、できたら夜が明けるまでに取り替えて欲しいという。私は父と職人二人と一緒に秋田駅前の店から千秋公園を斜に横切って大八車で畳を運んだ。初めて行く立派な屋敷だった。高い位置に積雪の間出入り口になる窓と、そこに登るはしごがある。そのはしごから離れた足がかりの無い天井の真ん中に赤い紐が結わえてある。真下の畳二枚は筵で覆っていた。ああこれは首吊りかと納得した。だがどうやってあの高い場所にひもを結わえたのか。引き取った汚れ畳の筵を捲った。草色の小便……こんな汚物は見たことがない。その上妙な事に昆布屋に弔いはなかった。汚れ畳は表をはがして干したのだが、いつまでたっても乾かない。それも何だか気味が悪い。「河童が首つったんだば。そえなば、おどげでね話だ」商店街の集まりから戻った父が昆布屋の噂話を聞いてきた。河童を捕まえて飼っていた、おとなしいのをいいことに息子二人の子守をさせていたのだという。「あじゃこなば、こえじゃ」子守が辛くて首をつったのだという。ばかばかしい話だが、あの畳は処分した方がいい、という事になり、河原で焼くように言いつけられた。
 のちに昆布屋は息子たちが戦死したので跡取りが無く店を畳んだ。河童の祟りと言う人もいたが、国中の若者が大勢亡くなったのだから違うと思っていた。……だけど我が家は、息子三人無事に戦地から戻ってきた年の春に父と母と、長男夫婦の生まれたばかりの赤ん坊が結核で亡くなり、職人達が逃げるように辞めていき、あっという間に店が傾いた。これはひょっとしたら河童の祟りかもしれない。実は面倒くさくて、あの畳は処分しなかった。売り物にするには気が引けて、多分家の座敷にしいてある。