敬志『老人踊り』

 獅子踊りは自分の町だけに在るのでは無いと初めて知ったのは、子供会で盛岡まで踊りに行った小二の時だった。
 それでも山ひとつ町ひとつ跨げば笛も振りも違ってくる。おら達の方が格好イイよなと流されたままの文治がよく言っていた。
川の瓦礫が片付いた頃、踊りをやるから練習に来いと町内の年寄から連絡が来た。
練習場所はまだ何処も避難所になっていたのだが、元町議の爺さんがこれも町の重大事だからと仮役場のプレハブを一戸空けさせた。場所は確保出来ても、笛も衣装も足りない。何よりそれを使う人間がいない。
 それでも人は集まった。単に義務感だったのか、ひっくり返った日常をもう一度揺り返そうとしたのか。理屈は思いつくし、現に「
被災地での踊り」を報じた新聞等は色々説明してくれていたが、正直それ程の感慨は無く年寄りの言う事だからという感が強かった。
 ただしそれも秋口まで。例年のシーズンを過ぎても年寄達の呼び出しは続き、週末毎に町を跨いで踊りの遠征に狩り出された。
 年寄りはやる事が無いからと、聞こえよがしの声も上がり、俺もそれに乗っていた。
 荒巻鮭を作る為の小屋が川に掛かった日の深夜、部落で最年長の婆さんがよろけながら家に来た。一緒に川まで来いとしつこく誘うので仕方無しに婆さんを背負って外に出た。
 こんな時でも新巻作るんだ・・・
 卵戻さなきゃ、先で鮭戻って来ないだろ
 背中越にそんな話をしながら、川辺に着くと町に残った数人の同級生がいた。
 その前に年寄り達が獅子踊りの装束で並んでいる。普段笛は吹くが年寄り自ら体を酷使する踊り手になる事はまず無い。
 年寄り達は俺達が知らない旋律を奏で、手振りを舞った。
 良い時の踊りじゃないけど、誰かが憶えておかないといけない踊りだよ・・・
 婆さんが背中で寒そうに呻いた。