井上徳也『漂着』

 爽やかな風が椰子の葉を揺らしている。空は高く、青い。いつもは地元や日本の観光客で溢れている砂浜。だが今は波の音が聞こえるだけだ。大きなものは撤去されたようだが、それでも波打ち際には小さな瓦礫や木片、日本語の看板が残っている。長い距離を超え、私の故郷があった場所から流れてきたモノ達。
 三年前の3月。「あの時」、私はその場にはいなかった。それどころか、もう三十年以上戻っていない。十代初めに両親を亡くした。元は山間の富農出身だった彼らは、それなりの財産を残してくれた。お陰で大学まで行き、その後渡米。家族も出来た。東京に行くことはあったが、係累の途絶えた港町を訪れる理由はもう無かった。今回の惨状に、もちろん心は痛んだ。ただそれは、遠い外国の不幸に同情する気持ちと、どこか似た想いだった。
 一年前、ハワイに東北の漂着物が流れ着いたと聞いた。そして一月前から遂にここにもやって来た。最初のうちは、軍や警官、野次馬に遺族などでごった返していたらしい。近頃やっと落ち着いたと聞いて、全てが片付けられない内に、一度は見ておこうと思った。
 波打ち際に女の子が立っていた。5、6歳位の日本人だ。ずいぶん古い着物を着ている。親の姿は見えない。目の大きな可愛い顔立ち。前髪をきれいにそろえた、これまた少し古風な髪型は、しかしその子によく似合っていた。とと、と私の前に来て「はい」と言って何かを握らせてきた。「ここまで失くさないようにするの、大変だったんだから。もっと早く来てよね」何のことか分からず、自分の手を見た。見覚えのある、小さな懐中時計。頭の中に光が差し込む。港の風景。父の笑顔。母の優しい眼差し。「忘れないでね」はっと顔を上げる。女の子は消えていた。青空の下、砂と海の境界がまっすぐ彼方に伸びている。
こみ上げてくる懐古の想いと、漸く実感する喪失感に、私はしばし慟哭した。