こまつまつこ『塀の向こう』

 私は小学生の夏休みを叔父夫婦の家で過ごした。叔父の住む村は昔、養蚕で暮らしを立てていた名残で、縁起物だと言って天井に繭を吊るしていたのを覚えている。

 初めこそあちこち物珍しく遊びまわったが、所詮は何もない田舎である。川遊びや虫取りにもすぐに飽いて私は退屈していた。そんな私の興味を引いたのは、村はずれの大きな家だった。周りはいつも高い塀に囲われて子供の背では中が見えない。この向こうで暮らしているのはどんな人間であろう。私は想像に耽った。ある日私は件の家の板塀に、小さな隙間があるのを見つけた。好奇心に駆られ、私はそこから中を覗いた。縁側に娘が座っていた。娘は眠たげに目をこすっていた。他人の家を覗くという行為に特別なものを感じた私は、以来度々ここを覗くようになった。誰かに見つかるかもしれないという緊張が、殊更私を駆り立てた。塀の穴を覗くと娘はやはり目を擦っていた。目に塵が入ったのか何かを掻き出しているようにも見えた。

 その日も私は塀を覗き込み、しかし腑から冷や汗が噴き出るような気になった。目があった。塀の向こう側、開いた穴が塞がるほどの近くにぎょろりとした目玉がある。ありえないほど赤黒く充血した目が私を見ていた。あの娘だとすぐに悟った。ついに見つかってしまった。そう思った私は腰を抜かしながらも這いずるようにしてそこから逃げ出した。そしてあの娘が何をしていたのかを私は知った。娘の目は何度も掻き毟ったように肉が削れて、化膿していた。瞼の肉に紛れて眼球に張り付いていたのは間違いなく糸だ。

 あの娘が報復に来るのではという不安で私は叔父の家にいる間、ずっと怯え、外にもあまり出なくなった。それでなくても目を閉じるとあの目が思い出されて、私は布団を頭から被り、眠れない夜を過ごした。今でもあの血膿と糸にまみれた目玉と、家の天井にぶら下がっていた夥しい数の繭が忘れられない。