萬暮雨(まんぼう)『和田君』

 夜中に、ふと尿意を覚えて広本君は眼を覚ました。
 周りを見回す。大きな和室に敷布団をしき詰めての、文字通りの雑魚寝。卒業旅行も最終日ともなれば、さすがに中学生の体力も限界に近づき、枕投げをする者もエロ本をこっそり読む者もなく、消灯時間になるやいなや、皆他愛なく寝入ってしまった。部屋には健康な寝息が蛙の声のように満ちている。ホテルの庭の灯りが窓から差し込むおかげで、クラスメートの頭を踏みつける心配はなさそうだった。右隣には和田君が腕枕をする恰好で、顔をこちらに向けてすやすやと眠っていた。部屋の出入り口は反対側にある。広本君は立ち上がって、左隣にいるはずの間宮君を踏まないように大きく足を上げて跨ごうとした。
 瞬間、広本君の体が硬直した。そこにも、和田君がいたのである。間宮君はその向こうにいた。広本君は眼を擦った。それから、そっと振り返った。和田君が同じ姿勢で寝ている。男のくせに妙に色白な和田君だったが、庭の灯りが白いせいか、その顔の皮膚が白いを通り越し、むしろ蒼ざめて見えた。広本君は再び静かに横になった。尿意はどこかに消えていた。掛け布団を手探りで掴むと頭から被り、ぎゅっと眼をつぶった。座敷童だろうか。今日の午後、燃え立つような紅葉のトンネルを潜るバスの中でガイドさんが教えてくれた話。しかし、今見たのはどう考えても和田君だった。いつの間にか混じっている童ではない。座敷童は変身できるのか。そういう話ではなかった気がする。両隣からの寝息に、なぜか掛け布団が少しづつ湿ってくるみたいだったが、もう一度見直す勇気はなかった。
 その夜はそれで済んだ、と今私の眼の前にいる二十年後の広本課長は語る。でも……。
「和田君は高校に上ってすぐ亡くなりました。結局、私は葬儀に行っていません。参列者の中に、もう一人の和田君を見てしまうような気がしてならなかったものですから――」