紅 侘助『ツガル』

 今やオタクの聖地アキバとしてのイメージがすっかり定着してしまったこの街も、一昔前は電気街として賑わっていたことを覚えておられる方もいらっしゃることでしょう。
 駅の電気街口側も大きなインテリジェントビルが建って様変わりしてしまいましたが、あの場所は長らく空き地となっていました。かつてあの場所には、神田青果市場、いわゆる「ヤッチャバ」があったのです。その頃から昭和の終わりにかけて、この街を「ツガル」と呼ばれる人々が行き交っていました。
 段ボール箱を集めて回っては、古紙回収業者に持ち込んで日銭を稼ぐのです。ヤッチャバのあった頃は市場で廃棄される箱を。電気街になってからは家電やパソコンの箱を。夏の暑い日も真冬の凍える日でさえも、リアカーを黙々と曳いて街を巡っていたものです。
 ツガルという名前の由来は定かではありませんが、リンゴの津軽という品種から来ているのかも知れません。確かに彼らの曳くリヤカーには、ヤッチャバから出たリンゴの段ボール箱が多かったようにも記憶しています。
 どこから来てどこへ消えてしまったのか。
 思うに中には実際に東北から出稼ぎに来ながら、いつしかそんな暮らしに身を堕としてしまった人たちもいたのではなかろうかと。
 その証拠に今でも春先になり、北国から雪解けの知らせが舞い込む頃になると、寝静まった街のどこからともなく、皺だらけの伊藤博文の千円札や、青い岩倉具視五百円札を大切そうに握りしめた男たちが現れるのです。御国訛りで故郷に残してきた子供たちのことを語りながら土産を買い求めるのです。
 路地裏でこうしてブリキ細工やソフビ人形など、古い玩具を並べて当時の価格で売りに出しているのは、何も金儲けをするためではありません。玩具を受け取り、宙に消え入る瞬間に彼らが浮かべる、あの、晴れやかな笑顔。その顔をいつまでも見送り続けていたいと、ただそう思っているだけなのです。