妙蓮寺桜子『PTSD』

 都内の或る大学病院心療内科に勤務するS医師の元に、心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDに悩まされている患者がいたという。震災時の津波映像を動画サイトで繰り返し見過ぎたことで、同じことがいつ自分の身に起こるかわかったものではないと、戦々恐々とした日々を送っていたそうである。
「ネットにアップされている津波映像には報道では使えない悲惨なものがあるのです。ひとや動物が流されているところや走行している車が波に飲み込まれるシーンなどです。そんな映像ばかりを見ていたというのですが……」
 そういった映像のなかに、奇妙なものが映り込んでいるのを、その患者は気づいたという。それは全身が真黒な人影で、スーパーマンよろしく空中を自在に飛び廻り、波に飲まれたひとを助けているというのだった。
「私も見てみましたが、そんなもの映っちゃいないのですがね。PTSDが引き起こす幻視としては珍しい例かもしれません。患者の願望みたいなものが、そういったものを見させていたと私は考えていますが」
 またその患者はこう語ったという。
『千年前の貞観地震の時には、黒い人影は今よりもたくさんいたのです。助けられた人間は案外多かった。しかし、今回の震災では助けられなかった命の方が多かったのです。この千年の間に黒い人影が激減してしまったのは、現代日本人の驕慢と堕落が原因なのです!』
 そういうと、患者は診察室を飛び出していってしまった。ひと月後、西新宿のアパートで患者は変死体となって発見された。検視の結果は餓死。真夏の暑いさなかのわりに、腐臭はそれほどではなかったが、全身が木炭のように真黒に変色していたという。