たまりしょうゆ『ハイウェイ・マヨイガ』

 茹だるような8月の暑さの中、私は仕事で八戸を目指していた。
 東北自動車道を北上し岩手の安代JCTを越えると、北上山地奥羽山脈が押し寄せるように両脇から近づいてくる。街は徐々に遠ざかり民家はまばらになる。高速道路から見える山々の間からは、名も知れぬ集落がぽつぽつと見えた。
 強烈に熱せられたアスファルトの上で空気が蜃気楼のように揺らぐ。その時――。トンネルの手前で一瞬、視界の隅に一軒の屋敷が見えた。
 私はハッとしてその方向に視線を転じた。時速百キロで吹き飛んでゆく景色の中、私は確かに見た。黒々とした木々に隠れるように茅葺屋根の『曲り家』が建っているのを。
 昔話から抜け出してきたかのような茅葺屋根に木の雨戸、手入れの行き届いた小さな庭先には紅白の梅が咲き誇っていた。開け放たれた雨戸の奥には囲炉裏があって、黒塗りの膳が並べられ鍋が湯気を立てていたことさえはっきりと見てとれた。
 しかし、何よりも私が目を奪われたのは、庭先をてんてんと転がってゆく紅い毬だった。
 視界が一瞬で黒とオレンジ色に染まる。
 トンネルで視界が遮られ、異界にでも迷い込んだような錯覚に、私は我に返ってハンドルを握りなおした。だが既に、コンクリートの壁面は目の前に迫っていた。
 ――あれが迷い家マヨイガ)?
 すさまじい衝撃と暗転する視界。曖昧なイメージだけが残った。
 私はあの日以来、屋敷を見ていない。
 来る日も来る日も同じ場所に立ち森を覗き込んだ。しかし、いくら目を凝らしても見つけることはできなかった。マヨイガは、異界と現世を曖昧に行き来するものなのだろうか?
 高速道路の上を彷徨いつづける私には、わからなかった。
 辿りつけばきっと、幸せになれるのに。