たまりしょうゆ『僕の夏休みの終わりに』

 北上川を灯篭が流れる夜、僕はラジオから流れる『北上夜曲』をぼんやりと聞いていた。
 うんざりする程の暑さは相変わらずで、じっとりと首筋に汗が滲む。
 不意に、誰かが家のドアを叩いた。
 時計は九時を回っていた。両親は留守。その音は徐々に激しくなり、扉の向こうで女の呻き声がした。僕は一瞬迷った後、家の古びたドアを開けた。
「あぁ、よかった! ね! 一生のお願い! 宿題を……」
「写させて、だろ? お前の一生のお願いは毎年だな」
 そこには幼馴染の千穂の顔があった。目を血走らせて宿題ノートを突き出す。
 僕は驚きつつも呆れ、短く嘆息してから家に招き入れた。
 長馴染みの腹から伸びた腸がドアに引っかかった。毎年の事とはいえ、何とも嫌な光景だ。腸を足先で外してやると、僕の前を駆け抜けて、宿題ノートを勝手に引っ張り出しては早速バリバリと写しはじめた。
「すごいね、全部終わってるし」
「当たり前だろ。てか、なんで今日の時点で終わってないんだよ?」
 僕は半目で睨んだ。写し作業に夢中な様子の千穂の横顔は血まみれだ。
「えへへ、夏休みなので油断してたら……今日になってましたっ。不思議でしょ?」
 血の気の無い指先を唇の下にあて、わざとらしく眉根を寄せる。
「おまえなぁ……冥土(あっち)でも相変わらずなんだな」
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてねぇよ、てか腸をしまえ」
 気が付くと、宿題の写しはあと一ページも残っていなかった。
「来年の夏休みはちゃんとやれよ」
「そしたら成仏しゃうじゃん。ないわー」
「また来る気かよ!?」
 僕は笑いながら言ったつもりだったけれど、涙が零れていた。
 灯篭流し夜、北国の夏休みは短くて、もうすぐ終わる。
 ――ありがと。
 千穂の口元が柔らかく弧を描くと、消えた。
 今日は千穂の命日だ。