応青『野晒し』

 みちのくを行く旅法師が笠島にさしかかったのは、文治二年の晩秋であった。那須野をたどり白河関を越え、阿武隈の流れを渡って信夫の里を訪ねては、さらに二日を歩いている。棚橋に散り敷いた紅葉を踏み、岩沼では双木の松の名残に詠じて、その足での笠島である。いくら勧進の行脚とはいえ、いささか草臥れた。見渡しても、遠めに見える神社の古杜から辺り一面はすすき野で、小道を隠している。これは難儀なこと、陽も傾いできた、と思案の法師であった。空は澄んでいるが、秋の陽の落ちるのは存外に早い。そんな旅法師に、もうしと、細い声かけがあった。振り向けば供を連れた女御である。それも、雛には稀に見る美形、衣装は都人にさえ優ろうというもの。焚き染めている香も貴人風である。
 女は手を引くように旅法師を住処へと導いた。背高いすすきに隠れていたか、屋敷は壮麗で召人が渡り廊下を往き戻り、その喧騒に、時折、馬の嘶きもまじる。奥座敷に通された法師の前に、やがて主という男が現れた。仔細あって名は伏せるが、元は都で宮中勤めの身。歌神に魅入られ、歌枕求めて、とうとうこの地にまでも至ってしまった、という。
 やはり詠み人でいらしたか。拙僧も稚ではござりまするが、いささかばかり、と法師は応えた。宴の賑わいも落ち、木枯らしめいた風音が強まる夜半に男は、一首を朗じた。
 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
 はて、それは中将藤原実方様の、と呟く間もなく、燃ゆる思ひを、燃ゆる思ひを……男の声が呪怨のごとくに残響するなか、法師の意識はゆっくりと遠のいていった。
 尉鶲の鳴く声で法師が目覚めたのは、すすき野に崩れた小塚の脇であった。盛り土から剥き出で空見上げる野晒しの眼窩に、委細を察した法師は、やがて声低く一首を詠じた。
 くちもせぬその名ばかりをとゞめをきてかれのゝすすきかたみにぞみる   西行