瑪瑙『かさっぴだ』

 かれこれ20年ほど前の話。当時、私は父と新しい母との3人で材木町の外れに住んでおりました。その日、私は季節外れの風邪をひき、家で横になっていました。母は春の風にでもやられたんだと言って買い物に出かけたので、私は留守番をすることになりました。熱に浮かされて朦朧としていると、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえてきます。足音は2階にある私の部屋の前で止まりました。
 そう言えば今日祖母が来ると母が言っていたのを思い出したので、挨拶をすると祖母も挨拶を返しましたが、一向に部屋の中には入ってきません。
「おばあちゃん、なんで入ってこないの。廊下は寒いっしょ」
 祖母は引き戸の隙間から赤い油紙のようなものを差し入れてきました。
「かさっぴだ、かさっぴだ」
 祖母は赤い油紙のことを、そう教えてくれました。かさっぴだを私のお腹の上にのせれば熱が下がると言います。ところが、よく見ると、かさっぴだには黒い塊が染みついており、大変気色が悪い。私が嫌がると、祖母は激昂して私のことを罵り始めました。あまりにひどいことを言われたので私が布団にくるまって泣き出すと、祖母はいつの間にか退散していました。私は泣き疲れて奄奄となっても母の帰りを待っていたのですが、母は買い物に出かけたまま、もう帰って来ることはありませんでした。
 ぞっとすることに、祖母が既に何年も前に亡くなっていたことを後で聞き、私はこの話を夢だと信じることにしました。

 先日、齢70になる父が危篤と告げられ、病院に息子と一緒に面会に行った折に、かさっぴだの話をあらためて語ると、父は私の息子を抱きしめてしみじみと言いました。
「のせなくってよかった。かさっぴだ、のせなくてよかったな」
 父によると、かさっぴだは方言でかさぶたのことを言い、母が育った集落に伝わる石女の呪法だったそうです。私はあの日の祖母が母だったのではと思うと鳥肌が立ちました。