きむら『檀原』

あなたを愛してる。
雪深い故郷でつかの間の休息を満喫し、忙しない東京へ舞い戻って二日目のことだった。コンビニの前でいきなり告白された。
ショートカットで切れ長の目、どこか今をときめく売れっ子女優を想像させる美人である。
でも彼女を知らない。
怪しい宗教の勧誘なのか、それとも高額の教材を売りつけようとでもいうのか。
「誰かと間違えてない?」
右手に持つシャケ弁当を掲げた。左手でさり気なくジャージの裾を引っ張った。「この通り、貧乏している」
「間違ってなんかいないわ」彼女は、ぽっと顔を赤らめ言った。「私はあなたに抱かれたの。結ばれたのよ」
まったく記憶がなかった。なら言い掛かりだろう。こんな美人とそんな関係になれるはずがない。自慢じゃないけど恋人いない歴三年なんだ。もしかしたら新たなオレオレ詐欺の手口かもしれない。キャッシュカード入りの財布を無理やりポケットの奥へ押し込んだ。
「したらば、いつどこでしたの」一転、素っ気なく問い質した。
「三日前よ。私たちの故郷で」
三日前? おぼろげな記憶が脳裏をかすめる。そういえば友人らとしたたか飲んだ帰り、道路の端で立小便をしていたら車がスリップしながら突っ込んできた。たぶん犬でも飛び出してきたのを防ぐために急ブレーキを踏んだのだろう。
危うく難を逃れたが、避けた拍子にバランスを崩してその物体の上に覆い被さったのを覚えている。もちろん倅をしまう時間などない。
しかし酔っているうえに身も凍るような衝撃、悶絶して、そのまま寝てしまったのだ。
「思い出してくれたかしら。あなたは私を抱きしめて離さなかったの」と彼女が耳元へ熱い息を吹きかけてくる。
げっ、あれは犬じゃなく、檀原の狐だったのか。
誤解だ、と後退りしたが遅かった。すでに周りには無数の狐火が浮かんでしまっている。
「どうやら婚礼の支度が整ったようね。これで晴れてあなたは婿、様よ」