深田亨『鉄道ノ延伸セサリシ事』

 かつてリアス式海岸に沿って南北へ二十粁ほどの路線を持つ軽便鉄道があった。その終点からさらに北上して隣県との境に近い高原まで延伸する計画が起こった。駅の候補地や現場の測量まで実施されたが結局延伸は実現しなかった。当時の国有鉄道が同じ方向に新線を走らせることになり採算がはかれないので立ち消えになったと伝わるが、それ以外にも理由があると云う者もいる。
 ある者曰く測量隊が山中に迷ったり地図にない峻嶮な峡谷が出現したりして、計画は遅々として進まなかったと。しかし同じ村に住む猟師は山中で木を伐採する音やレールを敷く数人の工夫を見たとも云う。また延伸計画の終点に近い高原で牧場を営んでいた何某という一家の末子は幼児であったが、月夜に高台の草原を小型蒸気機関車が一両だけの客車を引いて走り来たのを見たそうである。その列車は遠くに東の海の見える草原の真中に停車すると、そこから数人の男女が降りてきて踊りだした。あまり楽しげなので幼児のこととて興味を持ち近寄ると、満月の光に照らされて男女の影が草原に映っていたのが猿や狐や鶏や山犬の形であったので怖ろしくなり逃げ帰ったと云う。
 やがて国有鉄道の整備に因り軽便鉄道そのものが廃線になったが、なぜか延伸計画のあった高原に国有鉄道は進出しなかった。大東亜戦争が始まる前の年のことである。
 今でも延伸予定の森の中に、錆びたレールとホームの土台となる土盛りが見られると云うが、実際に見付けた者はおらずそんな工事がなされたとの記録も無い。月夜に高原列車を見た幼児はつい一昨年まで隣県の特別養護老人ホームに入所していたが、八十歳を目前に身罷ったとのこと。亡くなる間際まで月夜に踊っていた男女について、北の山に棲む猿や狐や鶏や山犬の経立(ふったち:獣の妖怪)であったと云うていたそうである。