蔵開剣人『涙黒子』

「また来ちまった」少し白髪の混じった髪をかき上げながら、ヒロシがつぶやいた。
 ヒロシは、仙台を襲った大震災で、家と5歳下の妻のキョウコを失った。ヒロシは、仕事で家を離れていて助かったのだ。キョウコは、派手な所はなかったが、職を転々とするヒロシを陰ながらよく支えてくれていた。
 ヒロシは週末になると、家のあった場所を訪れていた。家は跡形もなくなっていた。ヒロシは、いつものようにしばらくの間黙って佇んでいた。すると、真っ白くスレンダーな猫が、どこからともなくヒロシにすり寄ってきた。猫は、帰り道も、ヒロシから離れず、何度も追い払おうとしたが、とうとう間借りしている家までついてきた。仕方なくヒロシは、猫を家に泊めてやった。猫はヒロシの隣で嬉しそうに寝ていた。
 仕事に出る時、猫を家の外に出して出かけたが、家に戻るとまたあの猫が待っていた。
「もう、来るなといっただろう」ヒロシは、下腹のでたお腹を折って猫に言った。
「ニャー」猫が鳴いた。
「俺のどこが気に入ったんだ。言ってみろ」
「ニャー」猫はただ、鳴くだけだった。
 次の日も、猫は出て行かなかった。
「今日で最後だぞ」ヒロシは猫を両手で抱き上げて言った。ふと、猫の顔をよく見ると、左目の下に涙黒子があった。妻のキョウコの黒子の位置とまったく同じだ。
「そういえばお前、キョウコに似てるな」
 その夜、ヒロシは夢を見た。夢の中にキョウコが出て来た。
「あなたにまた会えてうれしい。あなたが悲しんでいるから、私は天国の番人に頼んで3日だけ会いに来たの。これからも、ずっとあなたのことを見守っているわ」
 翌朝、目が覚めると猫はもう何処にもいなかった。
「キョウコ」 ヒロシの目には、涙が光っていた。