宇津呂鹿太郎『二人の家』

 祖母が亡くなったのは冬が始まる日の朝だった。九十二歳だった。
 葬儀は祖母が長年住み続けた家で行われた。先に逝った祖父が二十代の頃に建てた家だ。所有していた山を切り開き、柱を立て、床を張り、屋根を葺いて、文字通りほとんど一人で建てた家だった。電気や水道も自分で引いたという。現代の大阪育ちの私には俄かには信じられない話だが、荒削りな家の柱や、家へと立ち並ぶ電柱の高さがまちまちなのを見ると、それが真実であることが分かる。
 その家は私の父と叔母にとっての生家でもあった。父も叔母も、大人になると働くために町に移り住んだ。祖父が亡くなってから、父は祖母にその家を出て一緒に暮らそうと何度か言ったことがある。だが祖母は「おれはどこにもいがね」の一点張り。頑固さにかけては誰にも負けない祖母だった。
 葬儀の後、親戚らと夜遅くまで祖母の思い出話に花を咲かせた。やがて皆それぞれ家路に就いたが、遠方から来ていた私と父、叔母の三人は、そこに泊まることにしていた。
 最後の一組を見送り、部屋に戻るといつの間に入ってきたのか、時期外れの蜂が一匹、天井の辺りを飛び回っている。叔母が窓を開けて蝿叩きで蜂を追い回していると、突然灯りが一斉に消えた。慌てて懐中電灯を探し、ブレーカーを確認したが異常はない。停電か。止むを得ず懐中電灯を頼りに布団を敷いて寝た。蜂のことはすっかり忘れていた。
 次の日の朝、外に出ると家のすぐ近くの電柱が一本、真ん中からぽっきりと折れており、電線が切れてしまっていた。
 家は暗く静まり返っている。私にはまるで家も死んだように思えた。その時初めて、家を出るのを頑なに拒んでいた祖母の気持ちが私にも理解できた気がした。
 現在、祖母の家には誰も住んでいない。
 たまに窓から灯りが漏れているのを見たという話を聞くが、真偽の程は定かではない。