鬼頭ちる『ジン』

 両親の馴れ初めを想う時、つい頬がゆるんでしまう。
 今から五十年ほど前、当時の父はまだ浪人生だった。ある雷のひどい日、一匹の猫が道端に倒れていたという。可哀想に、もしかして雷にやられたのか? 父は猫を連れて帰り、懸命に看病してやった。ここからが、ちょっと変わっていた。
 父はしばらくその猫と暮らすことになるのだが、何と猫は、”自分は猫ではない”と云い、筆記で会話をしてきたという。云われてみれば、猫よりだいぶ手足が長い。他にも幾つか猫とは違う特徴があり、父が”ではお前は何だ?”と訊ねると、猫もどきは自分のことを「ジン」とだけ名乗った。
 そんなジンは父の合格発表の日、突然いなくなった。出会った時と同じ、雷の日だったという。それから社会へ出た父は、何気なく立ち寄った博物館で、母と出会った。それは折しも、硝子の向こう側でミイラが微笑んでいた場所だった。
 母はちょっと変わった趣味を持つ女性で、今でいうところの『ミイラガール』だった。日本全国の、特に妖怪のミイラを観賞するのが何より好きだったという。そんな不思議な魅力を持つ母に父は、急速に惹かれていった。
「ねえ、宮沢賢治で有名な岩手の花巻に、《雷神のミイラ》があるそうよ。行ってみない?」母の眼が少し潤んでいた。
 雄山寺に祀ってあった”それ”を一目見るなり、父は”これはジンだ!”と直感したという。そして心の中で話しかけた。”ジン、ジン。お前、雷神だったのか”。その時、感動で震える父に、母はそっとこう云った。
「大丈夫。ジンは今幸せよ」実は父は、母にジンのことを話したことはなかったという。二人はその後、夫婦となった。
 今は亡き母は、雷が好きな人だった。普通なら怖くて逃げるのに、いざ雷の音を聞くと「充電してきます!」と外へ飛び出していくのだ。もっとも娘の私は、コンセントから直に頂くのが好きだけど。