『椿に託す』/森明日香

この椿には、花が咲きません。
つぼみが膨らみはじめ、ああ、今年は花を見られると喜んだのも束の間、ぽたりと頭を落とすのです。
 その様子は、まるで乙和(おとわ)様が流す涙のよう。
 え。乙和様をご存知ない。ははあ。あなたは、よそからいらっしゃったのですね。
 乙和様は、二人の御子息―継信様と忠信様―を源平合戦で亡くされました。戦というものは、今も昔も酷い(むごい)ものですね。
 悲嘆にくれた乙和様は、朝から晩まで伏せってしまわれました。
 ある日、乙和様を案じた若桜様と楓様―御子息の奥様たち―は甲冑を身にまといました。
そして、このように叫んだのです。
「ただいま、凱旋いたしました!」
 乙和様を慰めるために。
 あら、どうしました。あなたまでもが泣き出して。そうですか、あなたにも二人の息子さんが。さぞかし可愛らしい年頃でしょう。
 おうちへお帰りなさい。何があったのかは分かりませんが、どんな苦労も生きてこそ。
 あなたにならお分かりでしょう。乙和様のお気持ちが、あなたになら。
 ごらんなさい。この椿は、御一族のお墓を見守るように立っているのですよ。
 花開くことなく、つぼみのままに散ってしまうのは……乙和様が、悲しみをすべて引き受けていらっしゃるからです。
 世の中の母親たちが、我が子と別れて嘆くことがないようにと。
 乙和様は、ご自身の涙を、椿に託されたのです。(終)

福島県福島市・飯坂の医王寺に伝わる話です。
「乙和の椿」「咲かずの椿」として有名な悲劇です。