『おやしらず』/湯菜岸 時也

私の仕事は化粧品の訪問販売、これは岩手方面の得意先を回っている時の話です。顧客に新商品のスキンクリームを勧めていると、急に親知らずが痛み出した。生憎、山奥の農村なので、歯科医院は近辺にない。この様子に見かねた得意先の奥さんが、助け舟を出してくれた。なんでも分校の医務室で、臨時に歯科医が来て、月に二回、生徒だけでなく一般の人も診てくれるらしい。運がいい事に、今日がその日だという。さっそく訪ねてみると、木造の校舎に地元の人が並んでいた。
これで痛みとおさらばできると、喜んだのも束の間、なんだか様子が変だった。なぜか、みんな着物姿で、「御主」「貴公も」などと時代劇みたいな言葉をしゃべっている。
「今日は祭りであんすたか?」
最後尾に並んでいる人に聞けば、怪訝そうな顔をする。医務室が近くなるにつれて、「姫! 御無礼を!」という声が聞こえてくるから、歯科医が金襴緞子で診察しているかと思いきや、中にいるのは普通に白衣を着た若い女医さんだった。訊けば、この周辺の集落には『先祖がえり』という、ある種の風土病ともいえる症状があり、十年に一度、村人が前世と同じ魂に戻ってしまうらしい。
たしかに此処は源頼朝に追われた義経を父の秀衡の意志に背き、裏切って討ったとされる藤原泰衡《ふじわらのやすひら》の末裔が隠れ住んだという伝説があるが、ある説では、これとは反対で泰衡は義経を奥州から逃がし、その逃亡の形跡が北海道にあるという。
なら頼朝に差し出された首は別人だったかも知れず、真実は闇に閉ざされたままで、どうにも歯痒い。のちに源氏に滅ぼされた藤原泰衡の霊も、よほど真相を隠したままなのが心残りなのか、子孫は十年ごとに奥歯にモノが詰まったような感覚に襲われて、幾つになっても親知らずが生えてくるらしい。先生は代々それを抜く役目を歴任しており、抜くと正気に戻るという。