『メドヴェージの蒼い馬』/岩里藁人

 モスクワの画商ポタポフは、一枚の油絵を前に腕組みをしていた。先日、曽祖父の遺品整理に訪れた青年から購入したものである。菜食主義者だという神経質そうなその青年は、これはシャガールの作だと主張し、一攫千金を夢見ていたようだった。しかし、ポタポフの鑑定を聞いてその望みがないと知ると、肩を落として言い値で置いていった。実はこの絵は呪われている、祖父も父も言いつけを守らなかったがために非業の死を遂げたと言い残して。ちなみにその言いつけとは「この絵の前でボルシチを食うな」だと言う。
 奇妙な絵であった。青年がシャガールの作品と間違えたのも無理はない。青黒く塗りつぶされた夜空を、白い半裸の娘が飛翔している。その娘を夜空よりも淡い青で包み込んでいるのは優しげな目をした馬の生首で、馬と娘はほとんど一つに溶けあっているようにも見える。その下方にはロシア風ではない奇妙な民家が並び、一人の男が血染めの斧を振り上げて叫んでいる。モチーフはシャガールに酷似しているが、問題は1905年というサインである。これが真実ならば、シャガールが美術学校にはいる二年も前だ。パリに出たのが1910年、あの独自の作風を確立したのは更にその後だから、計算が合わない。
 ――つまり、これはシャガールの模倣ではなく、それ以前に描かれた可能性があるのだ。ポタポフは商売抜きの好奇心に舌なめずりしながら、もう一度ためつすがめつした。ふと絵の裏を見ると、そこには木炭で「OSHIRASAMA」と書かれていた。よしよし、これは重大なヒントだぞ、青年から聞いた、曽祖父がメドヴェージ村で軍役についていたという事とあわせて調べれば、何かわかるかもしれない。食事の後にネットで検索してみよう。ポタポフは昨日の残りのボルシチを温めなおすために、席を立った。