『叔父の思い出』/丸山政也

 昭和三十年代の終わり頃のことだ。私は小学校の低学年だった。
 私の両親は共働きで年中忙しくしていた。子供よりも仕事。幼心にもそういう家族の暗黙の了解のようなものを私は感じ取っていた。夏休みだというのに、どこにも出掛けようとしない私を見るにみかねて、叔父が私を外に連れ出した。どこに行くのかと問うと、叔父は薄く笑いながら「いいところさ」と答えた。私が連れてこられたのは宮古の海水浴場だった。
 砂浜では誰かが持ち込んだラジオから軽快な音楽が流れていた。曲は西田佐知子の唄う「コーヒールンバ」だった。叔父は音楽に合わせておどけながらルンバとは似ても似つかない奇妙な踊りをしてみせた。「ほら、お前もやってみろ」私は恥ずかしがってやろうとしなかったが、叔父は強引に私の腕を取って、踊らせようとした。
 「この海では毎年一人必ず溺れて死ぬのさ。幸い今年はまだいないようだが」
 曲は同じ歌手の「アカシアの雨がやむとき」に変わっていた。曲が変わっても叔父は同じ踊りを続けながらそう言った。私はすっかり疲れてしまい、砂浜に座り込んだ。気づくと辺りは一面夕焼けに染まっていた。目も眩むほどの橙色の中で揺らめく叔父の黒いシルエットはある種不気味なものに私の目に映ったのだった。
 翌朝、ラジオ体操から帰った私に、叔父の悲報が届いた。自宅の浴槽で溺死したのだ。警察の見立てでは事故ということだった。叔父が亡くなった当時の状況を大人になった今思い返してみても、事故以外の何物でもなかったと思う。ただあの叔父の、何か熱に浮かされたように踊り続ける姿を45年以上経った今でも鮮明に思い出すことができるのは何故なのだろうか。