『善助さんとの再会』/新熊 昇

 久方ぶりに鯨油の臭いがしました。二度ほどお会いしたことのある石川善助さんが微かに漂わせていた匂いです。善助さんは片方の足が不自由なのに、漁船に乗り組んだり、実にいろんな仕事をされていました。最初は呉服店の店員、雑誌記者もしたこともあると伺いました。
 彼の天末線の境目を鼓翼する候鳥たちを描いた詩は、わたしに銀河の鳥使いを思いつかせてくれました。オコック海の魚扠漁は主人公の父親の職業にさせてもらいました。
 彼の空観は法華経の教えに通じるところがあって「我が意を得たり」とも思いました。
 しかし善助さんは昨年、乱酔して踏切で汽車に轢かれ寒天の星となったのです。足が不自由な故に風圧で溝に落ちて溺れたからとも聞きました。そんなことはどちらでも構いません。覆せぬのは彼はもう無極の果てにいるということです。まだ三十一歳、いよいよこれからという時でした。
 わたしはじゅうぶん心を込めて追悼文を書きました。草野先生もひどく悲しんでおられました。仲間たちがお金を工面し合って詩集も出版しました。善助さんが生前果たすことができなかった初めての本で、手にしたときわたしも涙を流しました。
 その彼がどうしていまここにいるのでしょうか。話しかけようにも唇は甲板の上に打ち上げられた魚のようにぱくぱくとあぎとふだけです。わたしは昨日まで隣村に出向いて新しい肥料について語っていました。きょうも明日も約束したこと、やらなくてはならないことが山のようにあるのです。このように床に伏している場合ではないのです。無理に眼を開くと回りは玻璃のようにきらめいていました。ふと善助さんの背中からトシが姿を現しました。てのひらには一塊りの雪がのっています。いろいろなことが余りにも倉卒に起きました。どこからかセロの音も聞こえてきます……。