『ぱちん』/きなこねじり

研究室だけは煌々と明かりが灯っていた。丑三つ時の来訪者に驚くでもなく、堆い書類の狭間で部屋の主は振り返りもしない。
「君の訪問ならいつだって大歓迎さ。今日は何の用だい」
些か風変わりとはいえ彼は博士号を持つ学者様、方や俺は臨時雇用の警備員だ。話が合うはずもなかろうが、俺が東北の出と知ってから彼の態度が変わった。孤独な夜間警備員にとっても、話し相手がいるのは助かる。
仰せつかっていた倉庫の片付けの為に裁ち鋏を借りに来た旨を告げると、彼は一寸待ちたまえと呟きながらモゾモゾと資料の山を掻き分け始めた。室内に漂っていた安コーヒーの香りが黴臭い古書の臭いにかき消される。
「はさみ、ハサミ、鋏。ところで君、二本松城に行ったことはあるかい? あそこの石垣には錆び付いた鋏が突き刺さっているんだが、鋏職人の怨念という説があってね」
二本松城は霞ヶ城の別名をもつ。二本松少年隊や伝統家具で知られる城下町だ。
「と言っても勿論鋏職人だっていた。どちらの職人の地位が高かったのか、彼の地に限って言えば前者だったのだろうね」
饒舌な彼の話は続く。とある鋏職人が町娘と恋に落ちた。家具職人して知られていた娘の父親は二人の恋仲に猛反対したが、娘は既に鋏職人の子を身籠もっていた。それを知った父親は怒り狂い鋏職人の作業場に乗り込み、鑿で若き職人の胸を一突きに――。
「まぁ、ありがちな話なんだがね」
恋人の死を知った娘は形見の裁ち鋏で自決し、血塗られた鋏は娘の手を離れるや父親の首に斬りかかった。鋏は父親の首を挟んだまま城まで跳び、石垣に深々と突き刺さった。未だ抜くことができないのだという。
「ところで君、何を借りに来たんだっけ?」
やけにゆっくりと、口を歪めながら彼が振り向いた。俺は目を反らせない。
――ぱちん。