『忌み田』/藤代京

かつて東北のある地方に、抱人と呼ばれるものがあった。
人の呼称でもなく、物の名前でもなく、人と田圃の総称だった。より詳しく言うならば、抱人の血筋と、彼らが所有する田圃が抱人と呼ばれていた。なぜに抱人と呼ばれるかはわかっていない。荼枳尼が訛ったのではないかと唱える学者もいたが、さだかではない。
抱人には白痴が多かった。五体満足なものは白痴しかいなかったと言ってもいい。彼らは忌まれ、抱人の田圃の米は年貢を取られることもなく、村人は決して口にしなかった。
抱人に赤子が産まれると、片手では握れる大きな石を持った産婆が訪れる。
村人が銭を掴ませて、無理矢理にいかせる。
産まれたのが、手足が揃った赤子ならよし。
そうでないならば。
締まりなく笑った母親の垂れた乳房にしがみついた赤子を、太い蚯蚓のような手足しか持たぬ骨なき子を引き剥がし、産婆は呪いを唱える。
糞狂え、糞狂え、板戸、板戸。
両手で振り上げた石で潰された赤子は、抱人の田に打ち捨てられる。
白痴の彼らは、赤子を田圃に鋤きこんでしまう。
もちろん、いまでは抱人と呼ばれるものたちはなく、抱人の田に実った米はブランド米として出荷されている。
そして、産婦人科では医師たちが糞狂え、糞狂え、板戸、板戸と呪いを唱える。
月夜の晩には、襟を立てた医師たちが田圃に赤子を捨てにいく。
田圃の水面に映る赤い月を割って、赤子が今夜も沈んでいった。