『祖父と貂獲り罠の思い出』/ヒモロギヒロシ

 祖父はつい最近までライフル担いで犬従えて山をうろついていたわけですから、実に七十余年も猟をしていたことになります。とはいえ後年のそれはゆるい道楽で、熊や鹿よりも鳥や小動物を狩猟の対象にしていました。
 小四の冬休みのこと。爺が庭でノコギリを引いていたので「チリトリは一家に一つで充分でしょ!」と注意しにいくと(祖父は家人の目を盗んでやたらチリトリを作ろうとする)、果たしてそれはチリトリの如きちょこざい日用木工品ではなく動物の捕獲罠でした。 今朝方、谷に面した裏庭の雪の上に貂の足跡を見つけたのだそうです。罠は木製の細長い箱型で、中に入った貂が奥の針金に吊られた餌をつつくと入口の扉が落ちる、というギミックが施されていました。一見無駄に思われたチリトリの量産行為は、この罠を作るための予行演習に相違ないと僕は勝手に解釈し、尊敬の眼差しでもって爺の工作を飽かず眺めたものでした。
 その晩、茶の間で「天才・たけしの元気が出るテレビ」を観ていると、普段はその内容に不快感を示す爺が声を出して笑い始めました。ドリフ以後のニューウェーブなお笑いを漸く解するようになったのかと思いきや、立ち上がった爺はダンサブルな挙動でもって何も履かずに雪降る戸外へ躍り出てゆくではありませんか。僕は母のいる台所に向かって「お爺ちゃんが高田純次を見て狂った!」と叫び、懐中電灯を手に踊る爺を追いかけました。
 照らした暗闇の先に浮かび上がったのは、箱の周囲でぐるぐる浮かれ踊る爺。やがて真顔になって下りていた扉を無造作に持ち上げる爺。箱から飛び出した細長い動物はすぐに積雪と降雪の狭間に紛れ、爺は呆気にとられている僕を横目に、きまりの悪そうな顔で「化かさった」と呟きました。貂も人を化かすということを僕はその時初めて知り、そしてわが家では理不尽にも以後「元気が出るテレビ」の視聴を固く禁じられたのです。