『彼岸花の揺れる刻』/樫木東林

改札口を抜けると陸奥の風景が広がっていた。山並みの緑が色濃い。夏期休暇を利用して都会の喧噪を離れたのは正解だったなと思う。線路沿いの小道を私は歩き出した。あてがある訳では無い。そもそも目的のない気ままな旅なのだ。
しばらく歩いていると童歌が聞こえてきた。なだらかな山道に少女の後ろ姿があった。パッチワークのように古着を縫い合わせた着物を着ている。どこかの民族衣装のようにも見える。興味を惹かれて少女の後を追った。
山を抜けて草原を縫うようにして道は続いている。少女とはもう少しで話しかけられるくらいの距離になった。道の脇には彼岸花が揺れている。この寒い地方にも生えるのだ。そう私が感心しているうちに少女を見失ってしまった。残念だが仕方ないので今来た道を帰ることにした。
しばらくして私は少し焦っていた。
もうかなり歩いたはずなのに一向に草原を抜ける気配が無いのだ。さっきは二・三本だった彼岸花が結構な数になっていた。戻るつもりが道を間違えて奥に進んでいるのかもしれない。そう考えて今とは逆の方向に歩き出した。しかし歩いても歩いても彼岸花は増える一方で事態は変わらなかった。やはり最初の方向で合っていたのだ。そう思い直して歩いてみたが、結果は同じ事であった。
そうして行ったり来たりを繰り返すうちに自分がどこに向かって歩いているのかも判らなくなってきた。今や前も後ろも、目の届く範囲全てが彼岸花で覆い尽くされている。もう気が狂いそうだった。何かを叫んで走り出した私は脚がもつれて前のめりに転けてしまった。
誰かに背中をポンと叩かれ、はっとして顔を上げると眼下に駅舎が見えた。背後から少女の童歌が聞こえてきたが、振り向いてはいけないような気がして、そのまま道を下った。